« 『小農救国論』 | トップページ | 二上山~當麻の里へ@日曜クラス »

『週末は田舎暮らし  ゼロからはじめた「二地域居住」奮闘記』

「増え続ける田舎暮らしや二地域居住希望者のための、Syumatu_inaka知識ゼロからの里山暮らし入門」という一冊。夫婦ともに東京出身で、「田舎」がない著者が、子育てをする中で「なりゆきで続けているこの都会暮らしは、わたしたちにとって本当にベストなの?」 「実際、豊かさって何?」と考え、田舎と都会とのデュアルライフを実践するまでの経緯と、その実際を綴った一冊。
ウィークデーは仕事、金曜日の夜に高速道路を駆使して「田舎」の家へ向かい、週末の二日を過ごすという「二地域居住」。里山の暮らし、週末農業、都会とは違う隣人たちとの関係…
都会生活を捨てて田舎に移住、ではなく、そういう手もあるのだ。
ひとつ前に読んだ『小農救国論』で山下惣一さんが「有機農業も市民農園も脱サラも週末農業も、みんな農業の担い手である」と書いておられるが、それぞれのスタイルで、ちょっとずつでも農に関わること、そこが第一歩かもしれない。ミニマムには、庭先や窓辺からでも。

『週末は田舎暮らし  ゼロからはじめた「二地域居住」奮闘記』
馬場 未織 著
2014年2月 初版発行
ダイヤモンド社 刊

極にゃみ的にちょこっと引用。

P190
 言うまでもなく、仕事のある平日の過ごし方と言えば、スケジュール管理からクオリティコントロールまで、きっちりきっちり「自分のイメージどおりに、ものごとを進めていく」ことを理想として働いています。そんな日々の中で、効率を高めたりスケジュール管理をする能力は高まりますが、「予測不可能なこと」に対して、柔軟に寄り添っていく能力やゆとりは失われていくような気がします。
 以前、東京から長野に移住した林材ジャーナリストの赤堀楠生さんとお会いした際、「田舎で自然相手の生活をしていると、自分以外のものに対してセンサーを働かせて関係をつくりながら過ごすことが多い。そして、何があろうとも自然にはいちゃもんがつけられない、自分が自然に対して折り合いをつけていくほかない。そのような自然相手の生活を失ったことが、都市社会のクレーム体質の遠因になっているのではないか」という話を伺ったことがあります。 
 相手を見る、相手を知る、相手に合わせるセンサーを働かせて生きる野生の力を使わず、それが失われてしまったとき、互いが自己都合を主張するだけの世界となり、声の大きさで権利を奪っていく循環ができる。さまざまな場面でそれらを体験するわたしたちは、それが本当に豊かな暮らしなのかをあらためて考える必要がある気がします。
 里山暮らしにある「生き物として暮らす」ライフスタイルは、わたしが生い立ちの中で漠然と欲してきたものでした。
(略)
 人の働きが里山環境の循環系に組み込まれることで維持される風景、生物多様性。人間の手が入った部分の土の色と草地の色のコントラスト、クモの糸のあらゆる幾何学模様、日を追うごとに深まる夏草の色、トラクターで耕した畑が菌類でキラキラと光る瞬間、その時々の強い命の香り…… 引いた目線で見ても近寄ってみても、実に美しい自然のさまざまなシーンに対して、土地の管理作業でダイレクトに関わっていくことで、一層の愛着を持つようになりました。そして、せっせとミミズと同様の働きをするその動機は、自然の美しさへの強い執着という、実に人間的なものだったことに気づきます。

|

« 『小農救国論』 | トップページ | 二上山~當麻の里へ@日曜クラス »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 『小農救国論』 | トップページ | 二上山~當麻の里へ@日曜クラス »