転換期を語る - 戦後70年の視点 作家・辺見庸氏
少し前の記事だが、心に残ったので紹介。2015年2月11日の神戸新聞。
1月14日付大江健三郎氏の記事と同じシリーズ。
歴史的危機にあり、暗転の予兆が現れつつある今について…
氏は、『愛と痛み 死刑をめぐって』でも深く考えさせられる文章を書いておられる。
「瓶のふた」が開いたように、世界中で暴力が噴出している。冷戦時代の再来のようなロシアとウクライナの紛争。急速に勢力を伸ばす「イスラム国」の勃興。日本人人質殺害やフランス週刊誌銃撃に象徴される過激化するテロの恐怖。現代を「歴史的危機」ととらえる作家の辺見庸さんは、暗転の予兆をつかむためには「五感を研ぎ澄ませ」と語った。
―戦後70年の意味をどう考えますか
「戦間期という言葉がある。戦争と戦争の谷間にあって戦争のなかった時代という意味だが、第1次世界大戦が終わる1918年から第二次大戦が始まる39年までの約20年間を『第1次戦間期』としたら、第2次大戦が終結した45年から今までを『第2次戦間期』と言えるかどうかに興味がある。敗戦後70年たち、これから続く状態が戦争とは逆の平和かどうか、疑わしい。現代は日常の中に戦争が混入しているのではないかと思う。
―どういうことですか。
「盧溝橋事件が起きて日中戦争が始まった37年に、世の中が急速に変わる。当時の近衛内閣が国民精神総動員実施要綱を閣議決定して、挙国一致で総力戦を戦う精神的支柱を形成する。これによって日本人の生き方とか国家観が変えられていくのだが、その始まりとなった37年が戦時として意識されていたかというと、そうでもない。
(略)
当時の新聞紙上からは、戦争に急速に傾いていく危うさが感じられない。
憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使容認が閣議決定され、特定秘密保護法が施行された今、安倍政権は現状を躍起になって変えようとしているのに、それに対する恐怖感があまりにもメディアには足りないと思う」
―戦前・戦中を戦後も引きずっているのでしょうか
「断ち切ろうとしなかった。日本と同じ枢軸国でファシストが支配していたイタリアではパルチザン(体制への抵抗運動)があったが、日本には全くなかった。敗戦後も戦中・戦前というものを色濃く滑り込ませたまま、殻だけ民主化していくという問題の根源がそこにある。
たとえば特高警察。これを廃止したのは45年10月で、日本人自らがこんなひどいものはやめようと言ったのではなく、連合国軍総司令部(GHQ)の指令だった。われわれの中に『こういうことをやっていいのか』とか、『こういうことしゃべっていいのか』といういわば内なる特高的発想がなぜ残っているのかというと、自分たちが壊したのではないからだ。天皇制ファシズムという訳の分からない体制の中で『一人びとり』という発想、主体性が全部もみ殺されてしまったまま戦後70年の繁栄もあったのではないか」
―今はどんな時代でしょう
「フランスの哲学者レジス・ドゥブレは90年代に『グローバル化で均質化すればするほど世界はバルカン化する』と言ったが、びっくりするぐらい当たっている。経済も文化もボーダーレスの時代になり、いろいろなものが均衡化していくに従って逆に、(分裂や分断が進む)バルカン化が起きるパラドキシカル(逆説的)な時代に来ていると思う。ウクライナの紛争や『イスラム国』の出現はまさにそれで、国家の衰退と封建制度の復活に立ち会っているといえるのではなか。旧来の国家像が崩壊し始めている。
資本の活性化、収奪力はすさまじく、人間は人間であり得たという圏内からどんどんはじき出され、阻害されている。地球温暖化の問題を含め、これほどの巨大な不安に囲まれて生きている時代はないのではないか。ストレスが一人の人間としては耐えられないくらいのものになりつつある」
歴史的危機
―民主主義も行き詰っているように見えます。
「普遍的な現象になっている。欧州のメディアは日本の右傾化を警戒しているが、ネオナチ的なものがたくさん現れる欧州自身の右傾化はすさまじい。民主主義があれほど根付いていると思っていた米国でも、最近の黒人襲撃に見られるように差別が原始的な形で、暴力的に噴出してる。民主主義というシステムの中で、問題をうまく処理していく機能が破綻している感じさえする。
現代は歴史的な危機を経験しつつあるのではないかと思う。以前はプロレタリアートのような階級的アイデンティティーがあり、『自分たちは皆貧乏だ。許せない。政権を打倒しよう』となった。だが危機の時代においては、階級的アイデンティティーを民族的、人種的アイデンティティーが凌駕してしまう。ウクライナでもロシアでも中国でもそうだ。日本でも戦後史上、例を見ないほどの勢いで、人々の意識が嫌韓、嫌中に向かっている。
日常というのは、急にこの日から崖っぷちですという変化の仕方はしない。暗転はゆっくり、大規模にいくわけで、その過程は見ることができない。でも敏感に耳を立て、目を見開き、五感を研ぎ澄ませていれば感じることはできると思う」
(聞き手は共同通信編集局、沢井俊光氏)
| 固定リンク
コメント
>民主主義も行き詰っているように…
民主主義を貫くことは根気と忍耐がいる…
色々な意見を折り合わせることだから…当然、時間もかかる。
急に成立した民主主義なんて、どこかにひずみも、ゆがみも出てくる
今までは
民主主義と資本主義は混同していたし、
個人主義と利己主義もはき違えている…
これからだよね、気付いて、修正をどのようにしていくか。
まず気がつかないと…一歩も前には進めない。
だから、気がつくために五感を研ぎ澄ます。アンテナを高く張る。
マスコミや文化人が激しく非難する意見はとりあえず
疑ってみる。そして別な角度から検証する。
小難しい理論武装はいらない。
そして己の心に鎮座している“良心”に問うてみる。
この地球にこすりつけた垢をどうやって掃除していくか…
これからが正念場。
投稿: 同人 オバカッチョ | 2015年2月19日 (木) 14:34
ホントにそうです。
民主主義と資本主義はべつものだし、
新自由主義もまたべつもの。
疑ってみること
知ること
よく考えること
感性を鋭くしておくこと
どれも大事。
投稿: にゃみ。 | 2015年2月19日 (木) 16:37