『田舎力 ヒト・夢・カネが集まる5つの法則』
『実践!田舎力-小さくても経済が回る5つの方法』に続いて読んでみた同じ著者の本。コチラの方が4年前に書かれているわけだが、内容はやはり「かっこいい田舎」「豊かな田舎」の紹介だ。
六次産業化を軸にした農山漁村の活性化事例に加え、本編では地方都市の中心市街地を再生した事例なども紹介されている。
編集担当者が「第一次産業の疲弊とシャッター街に象徴される市街地の衰退は、対で考えなくてはならない問題」と書いているが、たしかにその通りだと思う。どこの地方へ行っても、巨大なショッピングモールができて、大手資本のチェーン店ばかりが入っている一方、駅前商店街などの昔からある商圏はさびれているケースが多いが、起死回生を図って成功しているところもある。「グローバル化」より「ローカル」を大事にすること、ホントに重要だと思う。
『田舎力 ヒト・夢・カネが集まる5つの法則』
金丸弘美 著
NHK出版 生活人新書297
2009年8月 初版発行
ところで、この本で面白かったのは、現在主流の慣行農法ではないやり方にチャレンジして、面白い成果を挙げている事例。
一部抜粋
通常の農法では、田植えの前にも稲刈り後にも、何度も田んぼを耕す。(略)
また、土を耕すと雑草が出てくるから除草剤がいる。虫が出ると殺虫剤がいる。病気が出ると殺菌剤がいる。農薬を撒くのにはお金がかかる。
1982年、東北地方を深刻な例外が襲った。被害地を訪れた岩澤さんは、あることに気づいた。品種が同じにもかかわらず、お年寄りが自分たちの食べる分だけ作っているような、機械を入れられない小さい田んぼだけ冷害を免れていたのだ。機械化せず、昔ながらの植え方、つまり苗代で葉が5枚出るまでしっかり育てた苗(成苗)を、手作業で植えたところだけ、きちんとコメが稔っている。
かつて手で田植えをしていたころは、苗が5枚~5.5枚つくまで、背丈にして30センチほどになるまで苗代で育てられ、そこから田んぼに植え替えられた。
1961年に農業の効率化のため大区画化の政策がとられると同時に、劇的に機械化が進んだ。早くたくさん植えるため、苗作りも変わった。苗を温室で育てる促成栽培が始まった。苗は背丈は田植えに十分だが、葉が2.5枚しかついていない幼い苗を植えるようになったのだ。かつては苗づくりに50日以上もかかっていたが、温室で育てれば20日ほどで植えられる。また、苗の入ったカートリッジを田植え機に装着して、機械で簡単に大量に植えることができる。田植え機の導入で、時間も労働も画期的に短縮された。
ところが、落とし穴があった。稲作の規模拡大、機械化とともに生まれた温室育ちの苗は十分に育っていないことから、「成苗」に対して「稚苗」と呼ばれる。稚苗は根が弱くひょろっとしているので、倒れないように何本かまとめて密に植えられる。すると蒸れやすく葉に斑点ができるイモチ病や、褐色の菌がつくモンガレ病などが発生しやすくなり、より多くの農薬を使用しなければならなくなった。またひ弱な稚苗は、冷害にも弱かった。、
さて、冷害対策には成苗がいいとはわかったものの、昔のように手植えに戻れるわけではない、。現代に合う形の成苗づくりと同時に、成苗を植えられる機会の開発が始まった。そんなとき岩澤さんは、自然農法研究家の福岡正信さんの著書で「不耕起」という考え方を知る。福岡さん式の不耕起栽培では種もみを直播きしていたが、岩澤さんは成苗を移植する方法を試みた。
耕さない田んぼに生き物が戻って来た
1982年、岩澤さんは千葉県佐原市(現・香取市)の農家、藤崎芳秀さんの田んぼの一角を借りて、地面に直接穴をあけ、そこに成苗を植え込んだ。硬い地面に自分の力で根を伸ばす苗は力強く、多くの肥料を与えなくても、稲穂がたわわに実った。田んぼを耕さないので、雑草や病原菌の繁殖も抑えられ、農薬の使用は最小限で済む。茨城県稲敷郡の山本太一さんの田んぼでも、同じことが起った。
そして、農薬を減らした「耕さない田んぼ」には、さまざまな生き物が現れた。タニシやドジョウ、トンボの数は尋常ではないほどに増えた。
やってみたいなぁ。って慣行農法ですらやったことのないヤツが何を言ってんだ、なんだけど。田んぼの隅っこでちょっとだけやらしてくんないかなぁ。
★参考事例…コウノトリを育む農法
★youtube「耕さない田んぼが農家を変える」…ココ!(岩澤さん出演)
★参考論文
不耕起・冬期湛水田における土壌有機物量
―利根川下流域の不耕起・冬期湛水田の事例(2)―
…ココ!(PDF) 2005年 茨城県の事例
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