『絶望という抵抗』
元共同通信社外信部記者、現在は作家・詩人という肩書で執筆活動を続けておられる辺見庸氏。冷徹で洞察力に溢れた文章は、いまこの国で消え去ろうしようとしている「知性」とか「教養」というものについて考えさせられる。
朝から某人気作家さんのこんなtweetを見て暗澹たる気持ちになったのだけど…。
で、この本。内容を端的に表現している版元の紹介文を引用する。
侵略という歴史の無化。軍事国家の爆走と迫りくる戦争。人間が侮辱される社会・・・。二人の思索者が日本ファシズムの精神を遡り、未来の破局を透視。誰かが今、しきりに世界を根こそぎ壊している。日本では平和憲法を破棄しようとする者が大手を振っている。
喉元に匕首を突きつけて私たちは互いに問うた。なぜなのだ?あなたならどうする?呻きにも似た、さしあたりの答えが本書である。
対談『絶望という抵抗』 辺見庸×佐高信
週刊金曜日刊
2014年12月 初版発行
深い示唆に富んだ良書だと思う。ぜひ一読いただきたい。
★同じ著者による作品
『転換期を語る - 戦後70年の視点』神戸新聞特集記事より
『愛と痛み 死刑をめぐって』毎日新聞社 刊(単行本)
以下、例によって極にゃみ的抜粋。
P25
辺見 ぼくが話したいのは、ファシズムの諸現象についてです。たとえば在日コリアンに対する排斥運動がありますね。聞くところによると、先の東京都知事選では25歳以下の、選挙権を持つ人間の四人に一人が田母神に投票したという。そこには自民族中心主義と陰謀史観が浸透し、少しでも日本に批判的な言説は自虐史観だと叩かれる。
これは1930年代と同じ現象です。メディア状況がこれだけ変わっているのに、連中の考えていることの平板さというのはむしろ以前より幼稚化している。安倍ファシズムはそこにとりいり、つけこんでいる。安倍本人も単純だから、ネット社会とうまく溶け合う。そこに怖さがある。
P51
辺見 ぼくは非武装反戦で何が悪いのだと思っているんです。丸腰論者です。自衛隊までは許されるとか、専守防衛ならいいとか、憲法に対する認識の曖昧さと、その論拠のなさが、戦後民主主義から個々の主体性を奪っていった。いくら少数派でも、はっきりさせておきたい。ぼくは「九条死守」、パシフィズム(徹底的な非武装)という立場です。それを理念として持っている。なぜかというと、日本は敗戦したんです。この事実ははっきりしている。
P53
佐高 安倍の頭の中にあるのはおじいちゃんの復讐戦だと思います。つまり、岸信介を復権させたい。祖父の汚名をそそいでむしろ名誉に変えたい。あまりにも個人的な話であるがゆえに意外に強い。
自民党内部にも安倍の暴走に顔をしかめる層はある。それでも安倍が突っ込んでいけるのは、個人的な強迫観念にも似た動機というか衝動があるからでしょう。
辺見 復讐という意味では、それもあるでしょうし、前回の安倍政権の惨憺たる結末と、叩かれた恨みを、しつこく覚えているのは間違いないと思う。
ウンベルト・エーコが言うように、ファシズムには哲学や論理の整合性はなく、だから「蝶番が外れている」と彼は言うのですが、基本形としてなにが残るのかと言うと「情動」だと。
佐高 なるほど。理性や知性なき動物的な情動ですね。
辺見 ファシストは、どの国の歴史をふりかえってみてもそうなのですが、狭量な人間です。過去の恨みを執拗に記憶していて、それに報復するという、個人的な情動がすべてにまさっていく。
逆に言うと、思考のレンジは短い。もちろん聡明とは言いがたい。したがって、彼我の力関係を誤解する。ファシストは、ゆえに、法則的に必ず負けるのです。佐高さんが言うように、彼は、自分のおじいちゃんの時代に、100万人くらいのデモが国会を包囲して、突入する人まで出たという記憶を、ほとんど悪夢の世界として抱えているに違いないでしょう。
そういった、とてもじゃないが聡明とは言えない安倍という危険人物の情動と衝迫に、しかし、われわれは支配され、歴史的記憶のない若い世代が共鳴してしまっている。中国や朝鮮半島に対するルサンチマンのような情動もそうです。
P66
辺見 (略)日中両国について、最悪のシナリオを話したいと思います。ぼくは中国に六年間いて最終的に追い出された人間ですから、身体的な感触があるんです。安倍政権の出方次第によっては今後、両国はとんでもない方向に向かっていく可能性がある。
ひとつの仮説です。今後、日中戦争は起きることがあるか、ないか。私の個人的な答えは「ある」です。
これもウンベルト・エーコの言葉ですが、ファシストは戦争に勝ったことがない。フランコもムッソリーニも、ヒトラーもそう。なぜ勝てないかというと、敵を過大あるいは過小評価するからだそうです。客観的な分析ができない。これ、まさに安倍なんです。
朝鮮、韓国をきちんと分析できていない。過小評価どころか蔑視している。中国にいたっては、まったくわかっていない。もちろんぼくにも中国への政権批判はあるし、反対せざるをえない。しかしながら私の中国体験から言うと、あの国は一週間で戦争の準備ができます。自分でスクープしておきながら、あの国が本当にベトナムに兵隊を送り込んだとき、ぼくの常識は木端微塵に吹き飛びました。
まだまだ引用したい部分は多いが、このへんで。ぜひご一読を。
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