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『にぎやかな天地』

2004年から2005年にかけて読売新聞に連載された宮本輝さんの作品。
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このところ小説を読む暇はほとんどなかったのだが、読んで良かった。
主人公が発酵食品の本の制作を依頼され、新宮のサンマの熟鮓、湯浅の醤油、琵琶湖の鮒ずしなどを取材しながら物語が展開していく。おなじみの食品が扱われているのも興味深く、主人公の実家が甲陽園で、なんとなく土地勘があるので面白く読めた。

『にぎやかな天地』
宮本輝 著
中央公論社 刊
2005年9月 初版発行

今はなき“播半”について、このように記されている。

「創業して半世紀にもなる和風の、広い庭に幾つもの棟を持つ旅館だが、宿泊せずに料理だけを目当てに訪れる客も多い。棟のなかには、どことなく中国風の白い楼門を持つものもあって、聖司はこの播半という空間が好きだった。」

「子供の頃、阪急電鉄の甲陽線の甲陽園駅に近い家から甲山大師道をのぼって、播半の前をさらにのぼり、甲山森林公園のあたりで遊んだものだが、一度だけ門のあいている播半の庭に忍び込んだことがあった。みつからないように庭木の陰に隠れて、苔の生えた細い径を這って進むと、ふいに目の前が展けて、神戸の海だけではなく、遠くに島が見えた。あとになってそれが淡路島だと知った。」

「あとがき」から
 私たちは肉眼では見えないものに取り囲まれて生きている。遠い宇宙の彼方のことも見えないが、わずか一ミリ四方でうごめく微生物たちも見えない。
 そして、それらだけでなく、物事の生起と、変化のさまと、その変化によって得られる未来もまた、私たちには不可視な領分として果てしなくつづいていく。
 大きな災厄が起ったとする。
 そのときの悲嘆、絶望、憤怒、慟哭というものは、未来を断ち切ってしまうかに思われる。
 だが、その大きな悲しみが、五年後、十年後、二十年後に、思いもよらない幸福や人間的成長や福徳へ転換されていったとき、私たちは過去の不幸の意味について改ためて深く思いを傾けるであろう。
 冷静な視力で過ぎ去った長い時間を見るならば、不幸が不幸のままで終わったというようなことは少ないのだ。それは「人生はどこかで必ず帳尻が合う」式の暢気な人生観とは別のところにある不思議な方程式なのだと私は思っている。
 肉眼では見えないものが、時間とともに私たちの前に具現化してくる事物は数限りない。私はそのひとつの代表としての道具立てに「発酵食品」を使わせていただいて、それぞれの身に起こる災厄が、長い年月を経て、まったく逆のものへと変わることを「にぎやかな大地」という小説に沈めたかった。そのためには「発酵食品」は、私にとってはまたとない素材であった。
 肉眼では見えないものの存在を信じ、時間というものの持つ力を信じなければ、昔ながらの伝統と技法を守って味噌や醤油や酒や酢や鰹節を造りつづけることはできない。
 科学の発達によって、さまざまな発酵菌は身近になったが、時間だけは短縮できない。
(略)

未曾有の大災害が頻発する中、いろいろと考えさせられる一冊だった。人間なんて大自然の中では、ひよわな一生物にすぎないし、ダイナミックな生態系というものをどれだけ識っているのかもわからない。科学万能ではないし、万物の霊長だなんて思い上がりも甚だしい。もっと謙虚に生きなければ、と改めて思った。いやー、微生物すごいわ。

★最近読んだ発酵食品に関する本
発酵する夜
賢者の非常食
食べるということ ~ 民族と食の文化~
?巡礼 おいしい?と出会う9つの旅
塩麹ブームで醗酵食品の本も続々出てます。

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