『 聖地巡礼ライジング 熊野紀行』
近所の桜が咲きはじめるちょい前頃、ジュンク堂書店 西宮店に
取り寄せ依頼した本を引き取りに行った。てんちょ!ありがとう。
で、その足で朝カル中之島教室で行われた「出版記念講座」へ。
『聖地巡礼ライジング 熊野紀行』著者の内田樹氏×釈徹宗氏による対談で、本の中でナビゲーターとして登場する新宮市観光協会の森本氏も登場。
釈徹宗氏が進行を務められたのだが、のっけから脱線しまくって面白かった。
世界各地の紛争地域のこと、宗教のこと…、曰く、欧州は移民統合にことごとく失敗している、紛争は軍事力で叩いてもムダ、軍事にコストをかけるくらいなら民生におカネを使うべき、アメリカの内部崩壊が進行していること…etc.
熊野の話で印象的だったのは、神倉神社の石段は、一種の瞑想装置ではないかという話。あの急で危険きわまりない石段を登ることによって瞑想状態に入れる。お灯祭であの傾斜を駆け下りることができるのは驚異的なことだが、クオリアを出している、あるいはルートが視覚的に“見えている”のではないか、という内田説。軽いトランス状態に入ると、環境に適応する演算能力がアップして、精度の高い運動が可能になるのだとか。
本題の聖地としての熊野について。
「どうして古来人々はそんなに熊野に惹かれるのか、その秘密を探りに」でかけてみたが、それは「秘密ではなく、むきだしでそのままそこにあった」。本書は、誰にでもわかることをそのまま描写しただけの本だそう。ただ、新しい切り口が散らばっている。
というワケで読んでみた。
ん、「熊野に行った」「なるほど、素晴らしい」 …以上。という感じのストレートな本。もう、その霊性も聖地としての存在感もゆるぎない、ということがつらつらと書かれている。
『聖地巡礼ライジング 熊野紀行』
内田 樹・釈 徹宗 著
東京書籍 刊
2015年3月13日 初版発行
少しだけ抜粋。
P219
多産の空間、熊野
釈 (略)「なぜ人は熊野に惹かれるのか」。これについて先生、どのように感じられましたか。
内田 熊野にはじつに分厚い宗教性がありますね。それをしみじみ感じました。
釈 しかもそれが広範囲に広がっていますよね。
内田 文化的な伝統という意味にとどまらず、自然環境や自然条件も含めて、やっぱり熊野という土地は非常に多産な空間で、そこに分厚い宗教的古層が堆積している。人間がつくり上げたものと自然がつくり上げたものが、見事に融和していましたね。
釈 熊野はよく死の国や黄泉の国にたとえられますが、春に訪れたからかもしれませんが、あんまり死の国という感じはしませんでしたね。
内田 しませんでしたね。どうしてそんなことがいわれるんでしょう。「死」よりも、むしろ「生」。しかも再生ではなく、ほんとうに純粋な「生成」という印象を受けましたけど。
ううう、そろそろまた、巡礼の旅に行かねば…体内熊野成分が枯渇してきてる気がする。
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