« 秋雨の日曜日 | トップページ | 雨が降る前に畑へ…(9月7日) »

『チョムスキーが語る戦争のからくり―ヒロシマからドローン兵器の時代まで』

いまこの国では、特定秘密保護法の強行採決に続き、完全に憲法違反のPhoto_2戦争法案が微妙な状況にある。とても民主主義国家とは言い難い状況になりつつあるわけだが…。

いわゆる先進国といわれてる世界では、民主主義によって平和を希求する国家が築かれていて、概ね人権は守られ、一応は自由で平等な社会が維持されている、と認識されている。
人種差別や民族差別は、まだ根強く残っている部分はあるにしても、先進国の人々の理性はそれらを克服しており、情報化が行き届いて、世界中の情報に広く触れることができる。
 …そんな感じで世界を認識している人は少なくないと思う。というか、私自身がそうだった。
が、いま私たちが認識している「世界」とは、じつは何者かによって「演出」されたものなのかもしれない(Edward Bernays『プロパガンダ教本』とか。読んでないけど)。
「都合の悪い」ことはすべて隠ぺいされ、「見栄えのいい」ことだけが表に出されている。「西欧」は、はたして世界をよい方向に導く、善良なる存在か?
いま、一読すべき一冊。

『チョムスキーが語る戦争のからくり―ヒロシマからドローン兵器の時代まで』
ノーム・チョムスキー/アンドレ・ヴルチェク 著
本橋 哲也 訳
平凡社 刊
2015年6月 初版発行

帯より:(略)鉄壁の情報操作により自国の利益追求を正義論へとすり替えてきた西側諸国。巧妙なプロパガンダの陰で、反テロリズムという名のテロリズム=戦争はいかに遂行されてきたか。世界中の現場を歩くジャーナリストが現代アメリカ最後の良心に問う。

まえがきから少々抜粋。

P10
(略)
 人々は死んでいた。自由とか民主主義といった高尚なスローガンのもとで容赦なく殺戮されていたのだ。あまりに多くの恐怖や破壊された人生、言葉にするのも困難な出来事を私は目撃し、それについて書き、映像や写真に残してきた。「周縁の地」からの証言という、今日きわめて稀となった事実を自分が知り理解するためには、まずそうする必要があったからだ。
 世界中の数えきれない人々の苦しみの原因となっている出来事の大半は貪欲と、支配と統制の欲望に起因しており、ほぼすべてが「旧大陸」ヨーロッパと、大西洋を挟んだその強大で無慈悲な子孫によってもたらされてきた。原因には多くの名称を付すことができるだろう。植民地主義とか新植民地主義、帝国主義とか企業の貪欲とか。でも結局のところ名前は重要ではなく、問題なのは人々の苦しみだけである。

(略)
 世界のあらゆる大陸でおこなわれてきた無数の恐るべき侵略や戦争を目撃して分析した結果、私はそのほとんどすべてが西側諸国の地政的・経済的利益のために引き起こされ、促されてきたものであると確信するようになった。そしてこうした殺戮についての知識、あるいは植民地帝国がなんのためらいもなく抹殺し犠牲にしてきた人間たちの末路に関する「情報」は、グロテスクなまでに制限され、歪められているのである。

(略)
 西側諸国の報道で目にすることと、私自身が世界中で目撃したこととはひどく食い違っている。破産した封建国家が「活気に満ちた民主主義」と称賛されたり、抑圧的な政権が「寛容」で「穏健」な国と言われたりする一方で、民主主義と社会主義に基礎を置く国家はつねに悪魔のように扱われ、土着の西洋的でない開発計画や社会モデルにはまったく未来がないかのように蔑まれて描写されるのだ。
 ロンドンやワシントンの頭のいい宣伝者たちが世界中の市民を「不都合な真実」から「守ろう」とあらゆる手を尽くす。世論もイデオロギーも概念も商品のように製造される。大量生産される車やスマートフォンのように、広告とプロパガンダを通じてそれらが市場に流通するのだ。

(略)
 西側諸国の情報操作が標的としているのが、西側から言われたとおりにしない国々―キューバ、ベネズエラ、エリトリア、中国、イラン、ジンバブエ、ロシアなど―であることは明らかだ。その一方で、西側諸国の利益のために近隣を侵したり自らの貧しい国民を虐げる国々が称賛される。ルワンダ、ウガンダ、ケニア、インドネシア、サウジアラビア、イスラエル、フィリピンほか多くの国々が。
 恐怖とニヒリズムが世界中に蔓延している。見たところ万能な西側における世界の支配者たちによって標的とされ、「罰せられる」という恐怖。それは名指しされ、周縁化され、目をつけられるという恐れだ。


P67
(略)
N・C ベオグラードではテレビ塔が爆撃されて人権団体が抗議しましたが、爆撃したほうは「そうは言ってもね、間違ってませんよ、テレビはプロパガンダ機関ですから。ニュースを流してるんですからね」と言った。
 同じことがイラクのファルージャでも起こりました。覚えておいででしょうが、アメリカの侵攻時に海兵隊がいちばん先にファルージャでしたことは総合病院の接収だった。患者をすべて床に放り出して縛ってね。ジュネーヴ条約を持ち出して避難(ママ)した人もいたのですが、米軍は病院がプロパガンダ機関だと言った。犠牲者数を公表しているので破壊する権利があるというわけ。報道機関もそれに追随するのみで誰もコメントしませんでした。
 ファルージャでの放射線量は、ほぼ原爆投下時の広島と同じくらいだと言われていますね。どんな武器が使われたにしろ、その損害は甚大なものがある。

A・V 実際イラクじゅうがそうですよね。放射線量が致死量に達しているところもあって、そのレヴェルは信じがたいほどです。人は西側諸国の公式プロパガンダを驚くほど簡単に信じてしまう。私は東ヨーロッパで育ったので、公式の政府発表を国民がまったく信じないというのは当たり前の感覚なのですが、ですからある意味では東ヨーロッパの人々の、世界や自分の国で起きていることに対する認識レヴェルはとても高い。
(略)
 世界のあらゆる大陸に住んでみて、「西洋人」がいちばん偏見を叩き込まれていて、地球上でいちばん無知で批判意識に乏しいと思いますね。もちろんサウジアラビア国民のような、同じくらい物を知らない人たちもいますが。それなのに西側諸国の人たちはまったく反対のことを信じている―自分たちこそがいちばん情報に恵まれ、「もっとも自由な」国民だとね。


P70
A・V (略)私がアメリカ合州国にやってきてショックだったのは、いかに自分が西側諸国のプロパガンダに騙されていたかということでしたね。
 ここにパラドックスがある。自由でオープンで民主的であると自称する西側諸国は、かつてのソヴィエト連邦や現在の中国で作られるプロパガンダにアクセスもできなければ、それに影響されることもなかった。プロパガンダだけではなくて、ほとんどの西ヨーロッパやアメリカ合州国の市民はソヴィエトや中国の人たちの世界観から影響を受けていない。ほとんど何も知らないから彼らの世界観は一極的です。あるのは一つのイデオロギーだけで、それは「市場原理主義」と言っていい。それを支えているのが複数政党国会システムないしは立憲君主制です。一方、旧ソ連や中国の人は、昔も今も資本主義や西側の共産主義解釈に精通している。ということは、どちらがよりオープンで知識に恵まれているのか、ということですね。中国の本屋を覗くと、資本主義の文献もたくさんある。アメリカ合州国やヨーロッパの本屋には共産主義中国の文献などまずない。


P78
N・C (略) インターネットでカルトを創始するのは簡単です。かりに私たちが、オバマ大統領が反キリストだという見方を広めるとしましょう。まず共和党支持者の四分の一がすでにそれを信じていますが、私たちとしてはそういう書き込みをすれば誰かほかの人がすぐに続いて、たちまちにして人々はそういうこともあるかと信じてしまう。信じたほうがいいじゃないか、だってほかのところで言われていることはどうせ嘘ばかりなんだから、こちらを信じたほうがましだ、というわけ。本当に大事な問題や活動から人々の関心をそらす大規模なカルトもありますね。あの巨大な「九・一一真相究明運動」(2001年9月11日のいわゆる「同時多発テロ」を政府陰謀説を含めて究明しようとする運動)もそうですが、それがもたらした悪影響は、明らかになった問題について実際に行動を起こすエネルギーを削いでしまったことにある。インターネットの前に座って、世界貿易センター第七ビルにナノテルミット(アルミニウム粉と酸化鉄の微量の混合物で爆薬に使われる)の痕跡があるかないかといった訳のわからない科学論文を読んでいるほうが簡単だから。イラク戦争に反対する抗議運動を組織するよりずっと易しい。

P161
A・V (略) イスラエルはパレスティナ人たちを抑圧し、土地を占領している。中東での西側諸国の出先機関としての役割を果たしているのですが、イスラエル人口の大半はもはや政治には興味がないらしい。テルアヴィヴとかハイファといった都会はまことに裕福な地域で生活水準も高く、そこにいると紛争地などとはとても思えない。そこから数マイル行くと境界が始まって、恐ろしい壁や鉄条網があるというのに。でも豪華なカフェとかコンサート・ホールに座っていると、そんな不正義は見えません。イスラエル国内にはもはや反対勢力はそれほどないように思えます。

N・C 多くはないだろうね。最近の世論調査では、人口の三分の二ほどが入植地の拡大に賛成している。すでにある入植地を維持することにはそれ以上の人たちが賛成している。でもこうしたすべては不法なのですよ。彼らもそれが不法であることは認めている。でもそれが見過ごされているのだから、どうしてやめる必要がありますか?

不法なことは世界に満ちていて、そして世界はそれに目をつぶっている。抑圧する側にいる限り、それを容認してしまうのが人間というものらしい。
ガザ地区への空爆を、イスラエルの市民たちが花火でも見るように見物していたという報道を思い出した。そこでは、非戦闘員の市民たち(幼い子ども、女性たち、病人や老人を含む)が殺されているというのに。

アメリカではこんな歴史もあった。
P194
N・C (略) 
 米国の行動がどんな影響をもたらしているかに対する関心が強まってきたことは社会の大きな趨勢とは言えないけれども、その増加と質は否定できない。先住民の実質的根絶(この言葉は建国者たちが使ったものですが)と奴隷制度という、アメリカの歴史における二つの核になる犯罪を例に取りましょう。1960年代までは人類学の専門家でさえアメリカ・インディアンなどという者は数も少なく、放浪する狩猟採集民にすぎないと言っていた。1975年にこの神話を打ち壊した最初の真剣な本であるフランシス・ジェニングスの『アメリカの侵略』が出るまではそのような状況だった。それ以前にもあるにはあったのですが、表に出ることがなかった―ヘレン・ハント・ジャクソンがまだ先住民への抑圧が続いていた1880年代に事実を明らかにする本を出したけれども、たぶん二〇〇部くらい刷られて、じきに消えてしまった。1970、80年代に再刊されましたが、それでも読んだ人は少なかった。フランシス・ジェニングスは人類学を教えていた専門家ではなく、アメリカ先住民博物館の館長でした。多くの研究調査をおこなって事実を掘り起こし、1960年代から始まっていた運動に大きな影響を及ぼしました。すでに当時このような考察に対する準備ができていたのです。
 私が育ったのは1930、40年代ですが、60年代にはさまざまなことがずいぶんと変わった。
私の家族は左翼のリベラルでやや過激な思想にも触れていましたが、私は友人たちとカウボーイ/インディアンごっこをして森を駆け回っていた。俺たちカウボーイ、インディアン殺す、というやつですね。1960、70年代にはそういうことが少なくなってきた。69年に10歳の娘の教科書を覗いてみたら、そのなかに『ニューイングランド探究』というのがあって、初期ニューイングランドの歴史を子どもたちに辿らせるものだった。老人がガイドになって主人公は少年、この老人がニューイングランドの居留地で起きた素晴らしい出来事を見せて回る。「ピーコット族の虐殺などはどう扱うのだろう」と思いました。これは野蛮な植民地人たちが女性と子どもを殺したひどい虐殺事件ですけれど、ところがこれはかなり正確に記述されていて、主人公の少年が「僕が大人だったらそこにいられたのにと言う。行言っていることは、女子どもを殺戮して土地から追い出して取り上げられたのに、ということですよ。それを妻に見せたら、もちろん彼女も驚愕して先生に話をしに行った。そうしたら先生は何か問題が、と聞く。妻がこの一節を見せると、この先生はここには綴りの間違いはありませんけど、と答えたのです!彼女には何が問題なのかまったく理解できなかった。そこで妻はこう聞きました、「こういうことを子どもたちに教えるのが正しいと思いますか?とくにいま、ヴェトナムのミライ虐殺が新聞の一面に載っているというのに」。そうしたら先生の反応は、「まあ誰もがあなたのようにリベラルとは限りませんからね」というものだった。つまり人々を根絶して土地を奪うことに何の問題もないと考えている人が少なからずいたわけだ。これは1969年のことで遅れた南部の田舎ではなく、リベラルなニューイングランドでのことですよ。こういうことは現在ではなくなりました。このような教科書はさすがにもう使われていないと思います。それにアメリカの先住民の絵も変わったしね。
 奴隷制度についても同様で、これも表に出てきませんでしたが、いまでは真実の物語が出始めましたね。「南北戦争のあとはよくなった、奴隷が解放されて」とか以前は思われていましたが、現在は学問研究以外でも、奴隷制度が表向き廃止されたあとも実際は再導入されたことが明らかにされ始めている。南北戦争後10年経って憲法改正などがなされてから、北部と南部のあいだに協定が交わされて、南部がある種の奴隷制度を復活して黒人の生き方すべてを犯罪と見なすようになった。だから黒人男性がすること全部、街角に立っているとか白人女性を見ているとかが犯罪とされた。すぐさま黒人男性で牢屋がいっぱいになって、彼らはきわめて優秀な労働力となる。このほうが奴隷を持つよりずっといい。奴隷を持てば世話をしなくてはならない。自分の財産だからね。でも牢屋から労働力が供給されるなら世話はしなくていい、ストライキもしない、賃上げも要求しない。アメリカの産業革命はこれによって成し遂げられたと言ってもいい。これは第二次世界大戦までほぼ続くことがやっと認識されつつあるけれども、このことは現在黒人労働力を「麻薬戦争」の名の下に犯罪者化して使うというレーガン以来の体制と似ている面がありますね。


いま、アメリカでは実質的な経済徴兵が行われている。貧困に追い込まれた若者たちを兵士としてリクルートするという。
参考:『(株)貧困大国アメリカ

それでも、希望もある。
P201
A・V (略) さてそろそろ私たちの対談も終わりに近づいてきたので、これまで触れてこなかったけれども話してきたことと深い関係のある話題を取り上げたいと思います。それは選挙についてで、アメリカ合州国でもヨーロッパでも有権者がいかに呑気かということ。私はドイツやイギリス、フランスに行くたびにカフェで人々と話して意見を聞くのですが、どこでも皆、自分たちの政治・社会体制にまったく幻滅しているように見える。どの政党も好きではないし、体制そのものに参加したいと思わない。いつでもそう聞かされますが、選挙になると主流の党、つまり右翼の候補に票を入れるか、あるいはフランスで定期的に起きるように極右を選ぶ。そうやって体制を「罰している」という人もいますが、実際には自分たちを罰しているわけで、とくに結果として世界のほかの場所を罰することになる。自分たちの資源を奪われたり、ほかの残酷な手段によって西側諸国の高い生活水準を支えるように強制されているのだから。
 ジョゼ・サラマーゴが『明察について』という素晴らしい小説を書いていて、これはある「民主的な」西側の国で人々の大多数が投票用紙を改ざんし始めると何が起きるかを描いています。政権が戒厳令を発布して国民を殺しだす。つまり作家の視点によれば、西側諸国の「民主主義」なるものは支配エリートの利益に沿うかぎりにおいて機能することを許されている。人々が選挙に行けるのは、このプロセスを真面目に考えて投票所に行き、投票用紙を投票箱に入れるかぎりにおいてで、かつこの体制を支持している候補者に投票するかぎりにおいてである。でも人々が民主主義とはこうあるべきだという支配者の考えを拒んだり否定したりしたとたんに、野蛮なメカニズムが発動して弾圧が始まる。
N・C エマ・ゴールドマンだったと思うけれど、彼女の有名な言葉に「もし選挙が何かを変えるとすれば支配者たちは選挙を違法とするだろう」というのがありますね。実際このことについて1990年代終わりにブラジル大統領に選ばれる前のルーラ(ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ)と面白い話をしたことがあります。ブラジルにいてかなりの時間を彼と過ごしたのですが、当時ルーラの人気は世論調査でとても高かったから、大統領に選ばれるかもしれないと考えたことはないのかと聞いてみた。そうしたら彼はこう言いました、「僕は貧農たちの考え方がわかっていて、かりに彼らが私を支持していても実際に投票所に行けば彼らはこう自問する、「俺と同じような奴が国を治めることなんてできるか?」と。そうすると「いや駄目だ駄目だ、国を支配するのは金持ちで頭のいい奴らだ」ということになって彼らの一人に投票する」。でも間違っていましたね、農民たちの考え方が変わった。



貪欲なる西側諸国の主たる国、アメリカに追随することがこの国にとってよい選択なのか。キューバや、南米の国々のように、西側の暴虐にまつろわぬという価値観を学んでみてもよいのではないか。

★その点、ローマ帝国はいい感じだったらしい。(塩野七生さんによると、だが)
ローマ人への20の質問

|

« 秋雨の日曜日 | トップページ | 雨が降る前に畑へ…(9月7日) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 秋雨の日曜日 | トップページ | 雨が降る前に畑へ…(9月7日) »