『路地裏の資本主義』
『グローバリズムという病』に続いて読んでみた平川さんの著書。やっぱりとてもいろんな示唆があふれていて、読んでよかった一冊。
背表紙より
もっとも広く世界で採用された資本主義だが、
今や穏健で理想的なシステムというより、
格差を拡大させながら、
地球規模で迷走し始めた暴力的な収奪システムに
変貌しつつあると言えよう。
資本主義は何処へ行こうとしているのか。
それとも、資本主義に代わりうる経済システムが構想されるのか。
会社経営の実業家としての顔だけではなく、
喫茶店店主として働き始めた著者が商店街や路地裏を歩きながら、
身近な経済を通してわたしたち現代社会の問題点と
将来のあり方を考察していく。
『路地裏の資本主義』
平川克美 著
株式会社KADOKAWA 刊
2014年9月 初版発行
★著者インタビュー…ココ!
「グローバリズム」はべつに必然ではないし正解でもない。民族や文化によって家族形態が多様であるように、資本主義もまた、一律のスタイルだけがあるべき姿なわけではない。
個々の文化や風土や伝統などが織りなす「ローカル」は自然であり、欧米型のグローバル“標準”に支配される必要性はない。むしろ「グローバリズムは不自然な政治的フィクション」(P181より)である。このままグローバリズムが進展して行けば、やがて国家と言う枠組みそのものが存続できなくなる、と著者は指摘する。
P182
世界の富を独占し、これからも独占し続けるための戦略策定を行うヘゲモニー国家と、低廉な労働力を供給するためだけに存続を許された市場としての国家。それは国家という名に値しない、単なる国家規模の市場に過ぎません。
なぜなら、そこには国家の主人公である、国民というものが存在せず、消費者というアノニマスな集団がいるだけであり、あるいは、ただ労働力や、貧困層や、エスニックマイノリティとしてカウントされる人々がいるだけだからです。
(略)
先進国家が、その発展の帰結として総需要を減退させているときに、その解決として発展途上の果実を取り込もうと考えているのだとすれば、そのもっとも手っ取り早いやり方は、国民国家という枠組みを外してしまうことに他なりません。
しかし、自由貿易を進め、世界をひとつの市場にしてしまうことには、ひとつの国家だけではなく、地球規模のリスクがともなうことを受け入れなければなりません。それは文字どおり、世界の多様性を失わせる結果になるからです。
(略)
世界の多様性とは、一国の法治システムが破綻しても、他国では法の支配が成立していることなどによって、世界が連鎖的な危機に陥るリスクを回避しているのです。
(略)
ひとつの国家内部においても、あるいは世界においても、一極集中ではなく、分散型の棲み分けを具体化してゆくことは、わたしたちが生き延びていくために、自然界から学ぶべき知恵だろうと思います。
★同じ著者の作品
『グローバリズムという病』
『小商いのすすめ 「経済成長」から「縮小均衡」の時代へ』
『「消費」をやめる 銭湯経済のすすめ』
『脱グローバル論 日本の未来のつくりかた 』(共同執筆)
★これまでに読んだ“そういう系”の本
『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』
『里山資本主義』
『脱資本主義宣言 グローバル経済が蝕む暮らし』
『脱グローバル論 日本の未来のつくりかた』
『食の終焉 グローバル経済がもたらしたもうひとつの危機』
『「里」という思想 』
『今ある会社をリノベーションして起業する~小商い“実践”のすすめ』
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