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『半市場経済 成長だけでない「共創社会」の時代』

資本主義の市場競争に支配された社会が劣化し始め、働くことが喜びではなく、Han_shijo_keizai搾取したりされたりするこの時代。資本主義というシステムそのものに疑問を感じる流れが出てきて、『「消費」をやめる 銭湯経済のすすめ』、『路地裏の資本主義』、『半農半Xという生き方』といった本が次々に世に出てきているが、そんな流れを学術的に解説した一冊。
「里の哲学者」内山節氏、細川あつし氏、杉原学氏、梅田一見氏の共著でまとめられた、非常に興味深い論考。

『半市場経済 成長だけでない「共創社会」の時代』
内山節 著
角川書店 刊(角川新書)
2015年9月 初版発行

「お金のために働く不毛なビジネス」ではない“仕事”を求めて活動する人たち各地で登場しているということに、ほのかな希望が見いだせる。

日本が近代化し、経済成長してきたのと同様、かつての「新興国」「途上国」も同じように成長・発展の途をたどっている。そんな、世界的な大競争時代は、経済・産業面で世界が平等化していく必然的なプロセスであり、一部の先進国が富を独占する時代は終わりつつある。

もちそんそれは悪いことではないが、かつての“先進国”は、後進国から富を一方的に収奪することを前提にした経済・社会・国家体制になっており、その体制が壊れることは、基盤が失われることを意味する。本書に書いてあるわけではないが、グローバル企業が新たな収奪の手段として“戦争”を欲しているような気がしてならない。それはさておき、少し引用してみる。

P18
 企業は国際競争に勝つために安く、解雇しやすい労働力を求めるようになった。安価な労働力を求めて海外に工場を移転させ、国内でも非正規雇用が広がっていった。他方で国家もまた国民を支える力を失い、増税や社会保障水準の切り下げが行われていった。
 しかしそれは、先進国の終焉を意味するだけではない。経済成長を遂げていった国々でも、急速な成長はそれまでの社会を破壊し、環境の悪化や社会資本の未整備、新しい格差社会の広がりといった問題を集積していく。社会変動に必要な時間量を確保できないなら、変化は新たな矛盾をも集積させていくのである。いま私たちが暮らしているのは、そのような時代である。
(略)
 とすると、いま必要なことは経済成長の夢にしがみつくことではなく、新しい経済と社会のあり方を模索することのはずである。


資本主義経済、マネー資本主義ではない価値観が動き出してる。それは、かすかな希望だと思える。

ついでにまえがきからも少し引用しておく。

「はじめに」から
P2
 自分の本当にやりたい仕事をしながら生きていけたら、どんなによいだろうと思う人は多いだろう。
 それは、いまの仕事が空疎な忙しさによって成り立っているからである。だから、たとえば定年後に自分のやりたい仕事をつくろうとする人たちも多くなった。それはある人にとっては農的生活であり、またある人にとっては焼き物などをつくりながらの暮らし、(略)
 だが今日の日本では、そういう人たちだけではなく、本業のビジネスとして、働きがいのある仕事、社会的に有益な仕事を自分たちでつくりだしはじめている人々が実に多くなっている。その意味では、新しい創業の時代が生まれているといってもよい。
 ビジネスである以上、それは持続的に経営可能なものでなければならない。しかし、ビジネスの目的は利益の最大化ではない。よりよき社会をつくることに貢献する、そのことによってよいよき生き方を創造する、そんな目的を実現できる持続的なビジネスを創出しようとする動きが、日本だけではなく、今日の先進国では広がりはじめているといってもよい。
 本書では、このような経済活動を「半市場経済」としてとらえた。市場を活用しているという点では市場経済であるが、活動の目的はよりよき働き方やよりよき社会をつくろうとするところにある。目的は市場経済の原理からはずれている。


そこで出てくるのが「エシカルビジネス(ソーシャルビジネス)」という考え方。
ローカルで、ふつうの人々が、自分が暮らす地域のために働く。もうそんな時代が確実に動き出していると感じている。この本を通じて、そのことがはっきりとした流れであることを確認したような気がする。

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