『原発事故と科学的方法』
ツイッターのTLで紹介されていて、興味を引かれて読んでみた一冊。天文学・天体物理学が専門の著者が、福島原発の事故直後から考察してきた内容などをまとめたもので、「専門家でなくても高校で習うレベルの知識があれば公表されたデータからある程度の状況把握はできた」ということを解説。
ちまたにあふれる原発事故の影響について、何が正しくて何が間違っているのか、よくわからない、という人には必読の良書。非常にわかりやすく、「ものの見かた」という部分で大きな学びのある本だった。
『原発事故と科学的方法』
牧野 淳一郎 著
岩波書店 発行(岩波科学ライブラリー
2013年10月 初版発行
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極にゃみ的に要約。
序章「3.11から最初の1週間 ―三重の悪夢のなかで」では、福島第一原発の事故の速報を受けて、限られた情報の中で何が起きているのかを推測した軌跡、そして九州大学の吉岡斉氏がメルトダウンの可能性を指摘したことに対し、“それなりの知識も理解力もあるはず”の物理学者たち(菊池誠氏、早野龍五氏、水野義之氏)が「ありえない」などと発言したことがツイッターのログなどで示されている。
(引用)
P9
当時の私の気分を振り返ってみると、現実に起こるはずのない悪夢の中にいるような気がしていました。この悪夢は少なくとも三重のものでした。最初は、起こってほしくなかった原発の重大事故、おそらくメルトダウンが実際に起こったこと、第二は、東京電力と政府の発表、マスコミでの報道や解説が事態をまったく過小評価するものであったこと、第三は、知人の物理系などの研究者を含めて、ネット上での論調のほとんどがこの過小評価を支持し、客観的な現実認識をこばむもののように見えたことです。
第1章では、事故直後から発表されていた情報から、事故の実態や放出された放射性物質の量について、ある程度の推測が成り立ったことを報道内容とともに解説。その推定には、原子力工学や放射線医学などの専門知識は必要なく、高校で習うレベルの知識で充分可能である、ということが説明されている。
第2章では、福島原発の重大事故が、「想定外」の状況下で起きた「不可避」のものであったのか、という点を追求。
2006年の国会質疑において、衆議院の吉井英勝議員が巨大地震発生に伴う安全機能喪失など原発の危険性に関して、「地震・津波のときに、非常用発電機が動かないのではないか。燃料棒バーンアウトが起きないのか」と質問。これに対する当時の安倍首相の答弁は、「必要な電源が確保できずに冷却機能が失われた事例は今までないのでそんなケースのことを考える必要はない」というようなもの。ところが、実際にはそのような事故パターンは検討されていて、専門家の間ではモデル計算も安全評価も行われていたことが資料によって示されている。
(引用)
P40
・福島第一原発では、それほど高くない津波で冷却機能喪失が起こることはシミュレーションで、というほどのことはなく単純な検討でわかっていた。
・冷却機能喪失が起きた場合、短時間でメルトダウン、圧力容器破損となり、格納容器破損、ないしは破損を防ぐために蒸気を外にだすことで、大量の放射性物質が放出されることはわかっていた。
・しかし、有効な対策はたてられておらず、国会答弁では「そんなことは検討していない」という趣旨の公式回答をしていた。
ということになります。こう書いてみると、どこかに非常に重大な機能不全が起きているのではないかと思うのですが、そのあたりをどう理解すればいいのか、ということを次章では考えてみます。
第3章「専門家も政府も、みんな間違えた?―あるいは知っていて黙っていた?」では、事故発生から最初の数日間で放出された放射性物質の量がチェルノブイリ事故の1/10程度にはなっていて、INESレベル7の事故であることはいろいろな形で発表されていた各地の空間線量率から充分に推測可能であったにも関わらず、そのことを発表したのは事故発生から1か月も先になってからだったこと、その最悪のレベル7であることを、じつは政府は早い段階から認識していたにも関わらず、「そのことについては報告を受けていた」が「確信を持って正しいと言える状況ではない」「あとになって『間違っていた』という可能性がある段階での推測を、政府の見解として公表することは困難」(枝野官房長官・当時)と釈明したことなどを解説。
(引用)
P45
しかし、これは、レベル5という過小評価の推測は「公表することは困難」」ではなかったのか?実際にこれは「あとになって『間違っていた』という可能性がある段階での推測」だったわけだよね?といいたくなるデタラメな言い訳で、過大評価するのはダメだけど過小評価はしてもよい、といっているに等しい代物です。
次に取り上げているのが、3月20日頃に、メイリングリストなどを通じて拡散された
「福島原発の放射能を理解する」というPDFの内容に関して。
野尻美保子氏(高エネルギー加速器研究機構/東京大学IPMU)、久世正弘氏(東京工業大学理工学研究科)、前野昌弘氏(琉球大学理学部)、衛藤稔氏・石井貴昭氏・橋本幸士氏(理化学研究所仁科加速器研究センター)ら、錚々たる人たちの名前を連ねて広めようとした情報が含んでいる多くの誤りを指摘。
メイリングリストでこれに対する批判を投稿したことに関して、次のように書いておられる。
(引用)
P51
そもそも、自分の利害という観点からは、こういうことをいうことにはいろいろデメリットがあります。まず、あまりその時点で他の人がいっていないことをいうわけなので、もしも間違っていたら25年の研究者人生で築いてきた(と本人は思っている)理論研究者としての信用に傷がつくわけです。また、正しかったとしても、政府や原子力の専門家といった権威がいっていることと違うことをいうわけで、容易には信用されないに決まってますから、自分から面倒を引き込むお馬鹿なふるまいをしているわけです。そもそも、あとで正しいとわかる悪い予言やアドバイスをして悲惨な目にあう話はギリシア神話のカサンドラをはじめとしていくらでもあり、賢い人はそういうことはしないものです。
(中略)もちろん、早い時期から事故の危険性を訴えるメッセージを出していた人や組織はあります。
原発に反対してきた人たち
実際、原発反対運動にかかわってきた人たちの多くは、事故の状況をほぼ的確に判断していたようです。(中略)
また、著名人では広瀬隆氏も、的確な状況把握をしていました。実際、基本的に3.11以前の広瀬氏の著作にある通りに事故は進んだわけですし、それはそもそも広瀬氏の著作が、専門家による事故シナリオをふまえたものだったのですから当然のことといえます。
極めて単純化していってしまえば、原発事故については、原発に反対してきた人たちが科学的に正しい認識をしており、推進してきた電力会社や政府機関は、シミュレーションやモデル計算できちんと予測できていて、そのレベルでの科学的認識は反対派の人たちと同じであったのに、反対派の人たちのいうことは科学的でない、といいつづけてきたわけです。
第4章は「原子力発電という巨大リスク」と題して、この国で原子力発電が導入された初期の頃からどういう検討が行われてきたか、ということを解説。重大事故が起きると、たいへんなことになることは認識していながら、「我が国において、非常用発電機のトラブルにより原子炉が停止した事例はなく」と対策を怠ってきたこと、浜岡でも美浜でも再稼働してよいような状態ではないこと、使用済み燃料の問題がまったくめども立っていないこと、増殖炉も再処理も破綻していること、そのうえで、政策の硬直性が問題であることを指摘。
第5章は「福島原発事故の健康影響をどう考え、それにどう対応するか」。
これまでの章で明らかにされてきたように、原発の安全性に対して異様に大きなバイアスがかかっていることをみれば、被曝の健康影響についてもよく考えるべきであることは明らか。前例であるチェルノブイリでの事例を見ても、
「信頼できないかもしれない予測しかない現状」に対してどうすればいいのか。
科学的に危険性がどれくらいなのかわからない状況であれば、通常は「安全率」をかけて考えるのが普通。たとえば、柱の強度であれば、規定より強度を持たせて、不測の事態にあらかじめ対応しておくというようなこと。
(引用)
P92
私たちが自分や家族の健康に対してこのような工学的アプローチをとるなら、専門家による予測に比べて被害はずっと大きい可能性がある、とみて、安全率を掛けた上で予測リスクをみてどうするか決めるべき、ということになるでしょう。
たとえば、安全率10とすると、被曝100mSvでがんによる死亡が増える割合は平均で5%、子どもではその数倍、10mSvでも子どもでは数%、ということになります。これを大きいと思うかどうかは個人の判断ですが、数%というのは無視していいレベルではありません。
「結びに」から
(引用)
P93
・少なくとも、外部への発表に関しては、専門家集団や政府機関の発表は、科学的方法をまったくないがしろにした、デタラメ、といっていいものであることがある。
P95
本書を書きながら、「それではどうすればいいのか」を考えていました。原発のような大事故につながるわけではありませんが、危険性の過小評価、あるいはその逆の、うまくいった時の成果の過大評価というのは、科学研究プロジェクトではかなりよくみられることで、その意味では原発が特別であるわけではありません。
そうすると、月並みな言い方になりますが、たとえば原発の問題を専門家や政府機関に任せていてはダメ、ということになるのではないかと思います。
原発事故発生後から感じてきた「この国の政府が言うことはあまり信用できない」ということは、やはりそうだったのだ。公式発表の内容を鵜呑みにして、「安全」「安心」と思っていたらたいへんなことになる。
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