『大震災の生存学』
阪神・淡路大震災と、東日本大震災、我が国を襲ったこの二つの大災厄。健常な人ですら、たいへんな状況であった中、自力で避難できない障害者や高齢者、危険を知らせたり、避難先で必要な情報が得にくい外国人やコミュニケーション能力に障害のある人々にとってどうだったのか。それらの当事者と向き合った人たちの証言や、「障老病異」を対象とする生存学の視点からまとめられた一冊。平常時でも、マイノリティに対する意識は高いとは言えないのに、皆が自分のことで精いっぱいのときに、社会的弱者はどう生き延びたのか。いま現在はマイノリティな存在ではないとしても、「障老病異」はいつ何時自分のことになるかわからないもので、決して他人事ではない。
『大震災の生存学』
天田 介+渡辺克典 編著
青弓社 刊
2015年11月初版発行
少し抜粋してみる。
第1章「大震災・原発災害の生存学 ―生存のための身振り」
2項「原発災害難民の生存学」より
P29
原発災害難民の存在様式
福島第一原発は、メルトダウンと水素爆発を引き起こして多量の放射性物質を放出し、広範な大地と海洋と大気を汚染し続けてきた。今日でも十三万人の人たちが生活の基盤を奪われて、避難生活を余儀なくされ、さらに多くの人たちが、子どもたちに将来現れる放射線障害を含めて、被曝の恐怖のうちに生活している。
十三万人の人たちは、単に放射性物質からの避難者であるだけではない。一つの発電所の事故によって避難を強いられただけでもない。
周知のように、原子爆弾は国家主導で軍産学複合体という巨大な勢力を糾合して開発され、「原子力の平和利用」もその延長線上に進められた。日本の原発開発も、戦時統制経済と電力の国家管理の継続のもと、通産省に主導されて、政界・官界・財界・学界・メディア界を総動員する「国策民営」として推進された。すなわち原発は巨大な技術体系であり、肥大化した官僚機構と複数の巨大企業と連携する研究機関からなる国家装置であって、一度暴走を始めればコントロール不可能であり、リスクを度外視した、「原発推進」それ自体が自己目的化した異様な自動装置である。十三万の避難者は、こうした巨大な核体制、核の国家装置が生んだ「難民」である、といえる。「原子力ムラ」として知られる権力装置は、財界ばかりか、労組、住民、地方自治体、学者、文化人、マスメディアを取り込んで翼賛体制を構築した。国の原発政策への異議申し立てや批判的な意見を抹殺して「原発推進」のイデオロギーに統制する政治手法は原発の全体主義と呼ばざるをえず、十数万の避難者は、原発ファシズムが生んだ「難民」でもある。
3項「社会的排除を超える生存のための身振り」
P37
「小さな公共性を重ねる」より
小さな公共性が、受難者の生存を支える。どのような受難の場所であれ、呼びかけが最初の小さな公共性である。仮設でも、遠い避難地でも、呼びかけと応答は生存の証しである。
(略)
分かち合いということも、受難当事者の生存を支える小さな、しかし重要な公共性である。シスター・マリア・コラレスからの聞き取りのなかから一つの出来事を引いて、釜ヶ崎で日々おこなわれている路上の分かち合いの一端を読み取ることにしよう。シスターが夜回りに出かけたとき、リアカーの上で寝ている人を起こさないように、おにぎりを置いて立ち去った。しばらくして同じ場所を通りかかると男は目を覚ましていた。さっきここにおにぎりを置いたと言うと、そんなものはなかったと男は言う。次に配るときは見えないように隠しておく、と言うと、男はシスターの顔をじっと見て言った。「何でそんなことを言うのか。たまたま通りかかった人がお腹がすいていた。だから食べた。それでいいじゃないか」と。
この視点はすごいと思う。「所有」の概念がそもそも違うのかもしれないが、他人と比べて損をしたくないというようなみみっちい発想がない。
| 固定リンク
コメント