「史跡桜井驛跡」
一段高いところで鎖に囲まれ威風堂々立っているのが「楠公父子訣別之所」碑。巨大な石碑に彫られているのは、陸軍大将乃木希典の揮毫によるもので、1912(明治45)年建立。
北側にある、負けず劣らず存在感ある句碑は、明治天皇の御製「子わかれの 松のしづくに 袖ぬれて 昔をしのぶ さくらゐのさと」。揮毫は海軍大将・元帥東郷平八郎。こちらは1931(昭和6)年建立。
そして、南側にある、ちょっと比率が謎な像が楠公父子。台座に彫られている「滅私奉公」の揮毫は3度に渡って内閣を率いた近衛文麿。
「楠公父子訣別之所」碑は第一次世界大戦(1914-1918年)の2年前に建てられた。明治天皇の句碑は満州事変が勃発し、陸軍が大陸で軍事行動を開始した1931年建立。
「滅私奉公」の父子像は、太平洋戦争勃発の前年に建てられている。
つまりこれらは、楠正成という武将が、為政者によって恣意的に利用されてきた歴史を物語る歴史的遺物なのだ。
「滅私奉公」と書いた近衛文麿は、大政翼賛会の設立に関わり、「八紘一宇」を掲げた人物。
楠公さんに関しては、兵庫県にもいろいろなものがある(あるいはあった)。
神戸駅のすぐ北側にある湊川神社は楠公さんがご祭神だし、街からもよく見えるランドマーク的な「菊水山」は、昭和10年「大楠公600年祭」の時、山の中腹に菊水の形に松が植えられた山(元々は「城ヶ越山」と呼ばれていたのが、以後「菊水山」と呼ばれるように)。
かつて、六甲最高峰にも騎馬姿の楠公さんの像が建てられていたそうだし、湊川公園には今もそんな感じの像がある。
「己を犠牲にして、利他的にふるまう」ことは、人を感動させる。そして、そのような心情を、国家はかつて戦意高揚のプロパガンダに利用してきた。
そういう歴史があって、これらがここにあるのだ、ということは伝えていかなければいけないと思う。
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