『仏道と武道 ~信じると演じる~』
先日釈徹宗氏主宰の寺子屋「練心庵」に武術研究家・甲野善紀氏が来られた。
特別ゲストとして神戸親和女子大学准教授・元ラグビー全日本選手の平尾剛氏も。2014年9月のリベルタ学舎主催「甲野善紀氏×釈徹宗氏対談」がとても面白かったので、参加してみた。
釈徹宗先生は、「『聖地巡礼ライジング 熊野紀行』出版記念講座」でもお話を伺っていて、練心庵という場にも、とても関心があった。
また、甲野善紀氏は、2014年8月にNHK文化教室神戸の講座「武術に学ぶ ~心と身体の再発見~」でも技を目の当たりにして、その身体操法には非常に注目している。
60代後半とはとても思えない身体のキレだが、ご本人曰く、「今が一番速い」と。
スポーツ生理学的な観点から見ると、肉体的にピークとなるのは10代後半、競技にもよるが、技の熟練やメンタル面での成長も含めスポーツ選手のパフォーマンスがピークとなるのは30代前半くらいというのが一般的であることを思うと、これはすごいこと。
人間の動きというのは、単なる筋肉の随伴運動のみではない、奥の深いものがあるようだ。「火事場の馬鹿力」というが、非常事態になると「我に返ったらできないこと」ようなありえない動きができてしまうということは、潜在的にはそれだけの能力があるということ。
甲野氏は、それを意識的にコントロールしておられるようだ。「事故に遭ったような」という表現だったり、「崖を転がり落ちる」「(ブラックホールのようなものに)吸い込まれる」というような表現をされていた。
“ため”て筋力で動こうとすると一瞬の遅れが生じるが、ふっと落ちていくような状態を作ってやると、思いもよらない力が生まれるということのようなのだが。
一つ間違えると死人が出るような、真剣を使用した演武も、「一瞬気を失っている」と言っておられた。
予定時刻を1時間もオーバーする白熱のトークが展開され、非常に面白かったのだが…なかなかうまく書き表す自信がない。
身体というものは「筋肉の収縮」で動かしていると思われているが、それだけではないということ、同様に、思考というものも、脳の内部で行われていることだと認識されているが、本当にそれだけなのか。
常人にはなかなか感得できない領域の話だと思うのだが、「言語化」しようとすると、逆に理解できないような気もする。
(これまでに読んだ関連図書)
『聖地巡礼ビギニング』
『甦れ!日本人の股関節 ~ あたりまえのカラダの使い方』
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