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『外道クライマー』

世間は三連休だが山には行けず、図書館の予約本が来たので読んでみた。
Gedo_climber2012年に世間を騒がせた、那智の滝登攀未遂・逮捕事件の張本人が書いた本である。
世界遺産であることはさておき、聖地熊野で古くから信仰の対象として敬われてきたご神体を登ろうとした、まさに“外道”な事件。本書では、那智の件のほかにも、タイのジャングル遡行、台湾の渓谷・チャーカンシー、称名廊下初登攀のことが並行して語られている。が、やっぱり“ウリ”は那智事件だろう。あの事件があったからこそ本書が世に出たわけで、筆者は逮捕されたことで当時の勤め先をクビにはなったけど、結果的に大きなご利益を得たのではないか。熊野の神様は本当におおらかで懐が深いと思う。

最終章を読んで、いろんなコトが頭の中でつながった。あー、あのセクシー登山部の“舐め太郎”氏か…4年前の海の日の三連休に企てられた「ゴルジュ感謝祭」の陰の首謀者はこのヒトだったのだ。


『外道クライマー』
宮城公博 著
集英社インターナショナル 刊
2016年3月 初版発行

那智の滝事件に関しては、逮捕された三名は公式に謝罪し、「反省している」と表明しているが、本書を読んだ感じでは、この方はあまり反省しているようには思えなかった。
「世間的にはダメなコトをしたから謝罪はしたけど、“沢ヤ”なんだから仕方ねーだろ」みたいな感じと言うか…。
沢ヤにありがちな露悪趣味的な表現がそんな風に感じさせるだけかもしれないけれど。

また、その露悪趣味がなせる業なのか、特定のパートナーに対する記述が容赦なく(佐藤裕介氏・大西良治氏に対してはそうではない。たぶん“実力を認めている”から?)、そういう部分が極にゃみ的には読んでいて落ち着かなかった。

沢ヤと言えば、黒田薫氏の『焚き火の焚きつけ』はたいへん面白く読んだ。
黒田氏もたいがい辛辣だし、決してお上品ではない部分もあるが、黒田氏の場合は、露悪趣味が他人ではなく自分に向かっているので、安心して笑えるのだけど(まぁ宮城氏にとって高柳氏はぼろくそに書いても許される、親しい存在なのだろうと思っておこう)。


ちょっとだけ抜粋してみる。
第3章 日本最後の地理的空白と現代の冒険 より
P102
 昨今の日本ではボルダリング、フリークライミング、山ガール的ハイキングと、登山が細分化されて、服装もファッショナブルになってハードルを低くしている。それぞれ若い人を中心に大変な人気だし、沢登りもシャワークライミングと呼ばれる特定の沢の綺麗な淵を渡り、滝を登る商業ツアーは人気が高い。だが残念なことに、それは沢登りの一部分だけを切り取ったレジャーの話で、探検的な要素を含んだ原初的沢登りは見向きもされていないのが現状だ。
 仕方のないことかもしれないが、どうも沢登りのように決まった枠組みのない遊びに対して、日本人は苦手な人が多い傾向にあるようなのだ。「危ない」とか「もし何かあったら」ということを言われれば、確かに沢登りはその通り危険を孕んでいる。
 仮にルート図を片手に進んでいたとしても、増水・落石・害虫・毒ヘビ・苔・溺死・滑落と、普通の登山よりも明らかに不確定要素が多く、その対策も取りづらい。
「それが面白いんじゃないか」と私は思うのだが、登山に限らず、スポーツにせよ趣味にせよ、世の中ではある程度の枠組みのある遊びのほうが好まれている。人には気質というものがあり、このように枠組みの外で遊ぼうとする人間というのは少数派なのだろう。クラスに二~三人いた、「おいおい、まじかよ」というような、突拍子もないイタズラをするタイプが沢登りのような遊びにハマるのではないだろうか。

(引用ここまで)

とあるインタビューで、宮城氏は「沢ヤは、沢登りに偏屈なこだわりを持ち、どっぷり浸かっている社会不適合者集団」「アルパインクライマーはカッコよくてストイックじゃないといけない。沢ヤは逆で、本能や欲望に忠実に生きようという風潮がある」と述べている。
沢ヤに個性的な人が多いのは確かで、前述の黒田薫氏もそうだし、「沢ヤ」とカテゴライズするのはちょっと違うかもしれないが、服部文祥氏、角幡唯介氏も冒険的要素に対する志向性は近いものがあると思う。彼らの書いたものにはそれなりに共感できる部分があるのだけど…(※)
ちなみに、角幡唯介氏は本書巻末に「解説」を寄稿している。
そこから一部抜粋。

P272
 あれの何がすごかったのか。それは彼らが那智の滝を登ることで、登山行為が本来抱えている原罪を露骨にあぶりだしたことにある。
 どんなに行儀の良さを装ったところで、登山をはじめとする冒険行為一般は、反社会的であることから免れることはできない。山が趣味なら誰でも経験があるだろうが、登山を真面目にやると土日は必ず山に行かなければならないわけだから、結婚や家庭生活をまともに維持するのは難しいし、また海外遠征をするとなると、まっとうな会社勤めも困難になる。こうした社会生活との表面的な摩擦は枚挙にいとまがないし、また、遭難したら救助費用などで世間に迷惑をかけるという論理にも一応の説得力がある。
 第一に山を登るということは、山に登らない場合よりも死の可能性が高まるのだから、その時点で社会と反目しあう性質をかかえている。安全登山などという交通標語みたいなお題目は、世間の常識と調和していることを装ったゴマカシ、欺瞞にすぎず、登山や冒険とは本来、危険で自立的な行為をさすのだ。

(引用ここまで)

※関連レビュー
角幡唯介 著
空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む

黒田薫 著
焚き火の焚きつけ

服部文祥 著
サバイバル登山家
サバイバル!―人はズルなしで生きられるのか
狩猟サバイバル
百年前の山を旅する

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コメント

twitterから このページに辿り着きました。

面識ないので想像、憶測、妄想の話なんですが、
外道クライマーの著者は、「ふつう」の人がヤルような「反省」後の態度、行動をとってはれへんのかもしれませんけど、私は「反省」の影響が、その後に書いてるものに表れてると感じてます。

穏やかに言うなら「まるくなった」というのか。

お邪魔しました。

投稿: chuki | 2016年7月19日 (火) 09:44

そうですね、私も面識はないのでよくわかんないですけど、
“「反省」の影響が、その後に書いてるものに表れてる”、
確かにそうかもしれません。
ヒトはいろんな経験を重ねながら、ちょっとずつ変わっていくものですもんね。
いろんな意味でインパクトの大きい経験だっただろうし。

投稿: にゃみ。 | 2016年7月19日 (火) 11:14

コメントのお返事どうもです。

「お返事に対する お返事」というわけでもないんですが、お返事を読んで思いついたところを以下に記します。

実は、、、というほどのことでもないんですが
2011年とか2012年頃、私は、セクシー登山部ブログの
熱心な?読者でした。
で、2012年4月には、入部希望のメールを出しました。

丁寧に お返事をいただいて、
なんだか ちょっとついていけないかも的な
感じだったので、つまり、私が根性なしで
それ以上には発展しなかったのですが

ま、話戻して、何が言いたいかというと、
当時のブログの内容と、
最近の著述内容などを比べると
やっぱり、まぁ私だけかもしれませんが
私は以前のほうがオモロかったです。

で、「人は変わっていく」というところについてなんですが
もちろん、そうゆうこともあると思うんですが
このかたの深層は全く変わってない気がします。
表現方法を少し一般ぴーぽー向けにシフトしただけな気がします。
ま、これも、一ファンの妄想です。w

投稿: chuki | 2016年7月19日 (火) 11:53

chukiさん、

>このかたの深層は全く変わってない気がします。
>表現方法を少し一般ぴーぽー向けにシフトしただけ

いろいろ世間にもまれて、
「オトナになった」んじゃないですか。

「丸くなる」って、本質から変質する人もいれば、
世間ウケする表現方法に変える人もいるってことですね。

んー、そうかもね。

投稿: にゃみ。 | 2016年7月19日 (火) 11:59

きっと、そうなんでしょうね。大人の階段を登っていったんでしょう。

で、要するに私が どう思ってるかというと
「大人になった様に振る舞っているけど、心の中では もともとの部分が そのまま残っていて、きっと、(また)やらかしてくれるに違いない」と期待してるというか、やっぱ妄想ですね。

お邪魔しましたw

投稿: chuki | 2016年7月19日 (火) 12:47

ひとの妄想力を刺激する、
そういう人材だってことですね(笑

つか、沢ヤ魂の琴線に触れるってことかも。

投稿: にゃみ。 | 2016年7月19日 (火) 15:34

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