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『「意地悪」化する日本』

福島みずほさんと内田樹さんの対談という、それだけでも面白そうなIjiwaru一冊である。しかもタイトルがイミシン。福島氏からの申し入れで、2015年4月~9月にかけて行われた、4回の対談をまとめたものだそうだ。その時点での、2016年参院選への予測なども語られていて、今読んでもとても興味深い。
「アベ政治とは何か」 「「意地悪」への欲望」 「「ビッグ・ブラザー」はすべてが知りたい」 「社会の地盤が動いている」 「それでも希望はある」 という5章で構成されている。
たしかに、“無駄に意地悪”な人が増えてるよな気はする。自分の利益にもならないような意地悪に、いったい何の意味があるのか?と思うけど…
 そういうヨノナカなのか。

『「意地悪」化する日本』 
内田 樹,福島 みずほ 著
岩波書店 刊
2015年12月 初版発行

ご本人の著作紹介サイトから紹介文を引用。
福島みずほさんと現代日本社会を覆い尽くそうとしている反知性主義と攻撃性の文化について話してみました。反知性主義に対しては「情理を尽くして語るという作法」を、攻撃性に対しては笑顔を向けるといいんじゃないでしょうかというお話をしております。

極にゃみ的に少し抜粋。

第1章 アベ政治とはなにか

P2 安倍総理はなぜ支持されるのか

内田 (略)あの人はそもそも政治家としては器量の大きい人じゃない。弁舌もさわやかじゃないし、人望があるわけじゃない。「神輿」として担ぐ人はいるけれど、「親分のためなら火の中水の中」というような忠実な子飼いの子分がいるようには見えません。健康状態もよくない。にもかかわらず、なぜか人気がある。この「不思議な人気」に僕は興味があります。「不思議な人気」の理由の一つは、彼の屈折の仕方が、ある種の日本人たちの抑圧されたセンチメントにすごく響き合うものがあるからだろうと僕は思っているんです。

P5 平然と嘘をつく政治家 から
内田 (略)真実を語っている人間は言うことが首尾一貫しているというのは、僕たちの市民的常識に過ぎません。常識的に考えると、言うことがころころ変わる人間は嘘をついている。日常的にはそういうふうに判断しています。そう判断しても経験的に誤ることはあまりない。でも、その経験則がこれらの政治家たちには適用できない。経験則に照らしたら、彼らは公人なのに平然と嘘を言い続けていることになるけれど、ふつうは「そんなはずはない」。だから、僕たちの方が混乱しちゃうんです。「ありえないこと」が今目の前で起きているわけですから、自分たちの常識を書き換えるしかない。(略)
 その意味では、「常識が通用しない人」は無敵なんです。彼らのような確信犯的な反知性主義者たちを前にすると、ロジカルに考えること、エビデンスのないことは断定しないこと、できるだけ相手に理解してもらえるように情理を尽くして語ること、そういったことを対話の基本ルールだと思ってきた人たちは勝負にならないんです。だって、ふつう対話というのは、相手を黙らせるためにではなく、相手が「ほんとうは何を言いたいのか」を聴き出すためにするものだから。「自分だけがしゃべって、相手には話させない」「質問には答えない」「自説の論拠として嘘のデータをあげる」「自分がほんとうに思っていることは言わない」ということを基本戦略とする人が相手では対話の成り立ちようがない。
 でも、この「どうしても対話が成り立たず、あっけにとられている」人の困惑ぶりを見て、「論破された」とか「一蹴された」とかいうふうに判断する人もいる。テレビで「論争」を見た人たちはたいていそう思うでしょう。特に「虚偽のデータを論拠にする」ということに僕たちはふつう慣れていません。


P13 「待ちぼうけ」戦略の破綻 から
内田 (略)戦後レジームというのは、まさに日本が「戦争のできない国」であることを土台にして制度設計されているわけです。このレジームからの脱却が彼の悲願なのですけど、「戦争ができないという呪い」を解除できるのは、「日本には二度と戦争をさせない」という呪いをかけた本人であるアメリカだけである。だから、アメリカに呪いを解いてもらうしかない。でも、アメリカが日本に許してくれる「戦争」は、「アメリカがする戦争のお手伝い」だけです。だから、あらゆるアメリカの戦争に協力できるように法整備しようとしている。特定秘密保護法も、集団的自衛権の行使容認も、安保法制も、すべては「アメリカがする戦争のお手伝い」が円滑にできるように日本の仕組みを書き換えるためのものです。もはやそれだけが国家目標になっている。

第2章 「意地悪」への欲望
P72 リスクヘッジの方法 より
内田 (略) 世界は時々刻々と変化しています。つねに思いがけないところで思いがけないことが起きて、世界の表情が一変する。それは予測不能なんです。だから、何が起きてもそこそこ対応できるように、多様な学術領域を用意しておくことが必要なんです。
 でも、人文系・社会科学系の学問領域を大学から排除して、「実学」分野にある限りの教育研究資源を投じたあと、もしその「実学」に対する市場のニーズがなくなったらどうするのか。そんな事例ならこれまでいくらもありました。



これまでに読んだ内田樹氏の本
街場の戦争論
街場の憂国論
街場の憂国会議
現代霊性論
聖地巡礼ライジング 熊野紀行
邪悪なものの鎮め方

内田樹氏の講演会
内田樹が語る『街場の戦争論』~グローバリズムと憲法九条~

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