『戦争に負けるということ』
神戸女学院大学2016年度春季公開講座「国境を越えて」最終回を聴講。
一応、校内の撮影はOKだけどwebにUPはご遠慮くださいとのこと。
この先の建物などはコチラのサイトで閲覧できます。
→「「W.M.ヴォーリズ建築初!国指定重要文化財の校舎で学ぶ 神戸女学院を体感する!」(にしのみや観光協会)」
さて、講座の内容を超バクバクっとにゃみ語変換で要約してみる。
※殴り書きのメモから起こしたものなので、言葉遣いはご本人の発言の通りではありません。理解に勘違いがあるかもしれませんのであしからず。
特別講座:7月23日(土)「戦争に負けるということ」
神戸女学院大学名誉教授 内田 樹氏
・前置きとして、ヴォーリズ建築について。
この講堂で話をするのは神戸女学院を退職して以来だが、この空間は声がよく通って話しやすい。教室というのは、教師だけではなく、学生も話をするので、話慣れない者が詰まりながら話しても声が通ることが大事。
新しく設計される建物でそういうことを考慮に入れているところはあまりないようだが、ヴォーリズの建物はその点、とても優れている。
・今日のお題は「比較敗戦論」、これは白井聡氏の『永続敗戦論』にかけたもの。
ドイツでは、敗戦に関するドキュメントが非常に少ない。
当時をリアルで知っている人々は、学者も軍人もジャーナリストも、誰も書いてこなかった。
基礎的な研究もほとんど行われていなくて、90年代になってからようやくいくつかの文献が見られるようになってきたが、そうなるまでに60年以上を要した。
ワイツゼッカーは演説で「敗戦はナチスからの解放」と述べたが、西ドイツ人にとっては「悪いのはナチス」で、この言葉が「穢れを祓う」ことになっている。
しかし、ナチスに独裁を許したのは「全権委任法」に国民の9割が賛成したからで、この法律は当初4年の期限立法であったが、なし崩しに延長され、独裁体制が続いた。
また、ゲシュタポはじつはあまり自主的に活動していなかった。実際には市民からの密告が7割を占めていた。
「ワルキューレ作戦」で知られるように、ナチスに抵抗する勢力も国内にはあり、ヒトラーの暗殺はじつに19回も企てられた。
「真のドイツ人」はナチスに抵抗したので、戦争責任はない、悪いのはナチスだけ、という認識がある。
近年になって、いかにドイツ国民がナチスに加担してきたかが暴かれてきている。それは、直接的な当事者が亡くなるなどして、事実を明らかにしても問題が起きなくなってきていることも影響しているかもしれない。
一方、東ドイツでは、「ナチスに勝利した」わけなので、敗戦国だという認識はなく、従って戦争責任も感じていない。
ドイツの中では東側の人々が人口比で1:4くらいなので、1/5にあたる。
イタリアでは、ムッソリーニによる独裁が25年に渡って続いたが、強力なトップダウンで物事を決める状態が続くと、人材がいなくなる。自己責任で現場判断ができる人材がいなくなって、水面下で連合国と講和を結ぼうとしたが、なかなか進まなかった。
イエスマンばかりになると危機管理体制がなくなってしまう例。
終戦間際の、1945年7月になって、イタリアは日本に対して宣戦布告を行っているが、このような恥ずかしい黒歴史を、イタリア人は一般市民でも普通に知っている。このことを日本人に指摘されると、悪びれることもなく「すまない」と謝る。
「かつては世界を支配していた」という余裕なのか、嫌みのない総括ができている。
対照的なのがイギリスで、組織文化が全く違う。
イギリスのエリートたちは、子どものころから私利私欲ではなく、国益を第一に考える訓練を受けているのか、各人が全権大使として行動することができる。
大英帝国時代に、片道数か月かかるような世界の最果てでいちいち本国の支持を仰ぐようなことはできなかったため、行く先々で起きるいろいろな事態にそれぞれが対処していた。
象徴的なのが、エチオピアでフィールドワークをしていたラドクリフ・ブラウン。一研究者であったのが、有事に接して現地民をゲリラ兵に仕立てて活躍した。
問題があるのがフランス。敗戦国なのか戦勝国なのかが微妙で、ヴィシー政権のことはあまり触れられない。5000人くらいが粛清されている。
シャルル・ドゴールが類稀なる傑物で、ほぼひとりで亡命政府を樹立し、強力なネゴシエーションによってパリ解放をもたらした。
パリ凱旋は、映画「ジャッカルの日」で描かれたように、実際に狙撃の危険にさらされながら、命がけだった。
戦中、レジスタンス勢力は2000人くらいだったが、戦後になるとなぜか数十万人がレジスタンスだったことになった。
アメリカは、国内的には南北戦争がまだ総括できていない。国の中に敗戦国をかかえたままの状態。
いまだに、ハリウッド映画の南部の描かれ方をみるとよくわかるが、経済的・文化的に南部は差別されている。
あとから入ってくる移民を排除しようとする動きがあり、ユダヤ人はアメリカに渡っても仕事がなかった。そこで、ニッチに目をつけ、金融・メディア・エンターテイメントの分野に進出した。
エンタメでは、南部を貶めた表現をすればウケるので、そういう作品が次々に作られる。
どの国も、戦勝国ですら、先の大戦の総括はできていない。
日本はアメリカの属国であることを認めようとしない。
「出来のいい物語」を採用すると思考停止に陥る。
糾弾も隠蔽もせず、真ん中くらいの「いい湯加減」の道を探っていくしかない。
関連書籍
徳間書店『日本戦後史論』内田樹/白井聡 ※未読
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