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『武器輸出と日本企業』

2014年4月、安倍内閣はついに「武器輸出三原則」を撤廃、Buki_yusyutd武器輸出を包括的に推進する「防衛装備移転三原則」を閣議決定。財界からの要求でもあり、政府の「成長戦略」の一つとして武器を輸出したいというわけだ。
だが、憲法の平和主義に基づいて武器輸出を全面的に禁じ、「国際紛争等の助長を回避」してきた根幹理念を放棄して、「死の商人」の国になろうとすることを、市井の人々が望んでいるとでもいうのだろうか。
そして、そんな動きを民間企業は、大学などの研究機関は、そして研究者たちはどう見ているのか。
デリケートな問題に直面し、公的立場もあって、口の重い人たちへの困難な取材を辛抱強く行ってきた中で見えてきたものとは…。一読すべき一冊。

『武器輸出と日本企業』 (角川新書)
望月 衣塑子 著
2016年7月 初版発行
株式会社KADOKAWA

【参考サイト】
★日本はもう戦争に参加しているのか?
日本企業の武器輸出の実態に迫る!…ココ!

★戦場ジャーナリストが問う「武器輸出三原則」撤廃の行方-
 (フリージャーナリスト・志葉玲氏)
 「死の商人」化する安倍政権…ココ!

ものが武器だけに、中小企業では手に負えない。大手の企業がいくつか絡んでいるわけだが、彼らですら「防衛装備品を海外に売って商売をすることは今まで考えていなかった」という。
アメリカなどの軍需大企業がシェアを握っていること、輸出相手の国とは商習慣が違う、政権が変わると方針が変わる、など、政府が前のめりな割には、順調には事は運んでいないようだ。

そして、「企業人たちの迷い」もある。
「軍事にたずさわっているということで企業の評価が下がるというリスクは取りたくない」(製造業大手企業幹部)「できることならやりたくない」(下請企業)という声が現場からは聞こえてくる。
利益の面からさほど期待ができないこと、海外への技術流出への懸念、武器を売ることでテロの標的となるリスク、さらには武器を売ることへの心理的な抵抗もある。

また、防衛省は、大学や研究機関などの民生技術(=デュアルユース技術)を防衛にも積極活用することを「防衛計画大綱」で謳い、研究資金を提供することで結びつきを強めようとしている。
研究機関への運営交付金が減額される傾向にある中、開発した技術が軍事転用される可能性を認めつつ、背に腹は代えられないと資金提供を受ける研究チーム。

一部抜粋。
P181
「兵器ではない、デュアルユースだからいい、技術は公開されるから検証可能、非人道的な兵器を作るわけではない、と科学者が言い訳できるようになっています。ただ本当にそうなるかは何の保証もありません。特許の関係で公開できなくなったといわれるかもしれないし、後に兵器に応用されるとわかって抗議しても研究が消去されるわけではありません。一度扉が開けば、あとは一気に開いていきます。動かなかったものが動きだす、防衛省からすればそれが一番大事なのです」

あとがき から
P220
(略)取材を重ねるほどに、武器輸出に戸惑う企業や研究者、市民の声を聞くようになり、一個人として割り切れない思いもふくらんでいった。
「国を守るために一定の防衛力は必要なのかもしれない。だとしても、そのために軍備拡大につながる武器輸出を推し進め、企業や研究者を巻き込む必要はあるのか」
 そんなとき、戦後初の東大総長(15代)の南原繁が記した『南原繫 教育改革・大学改革論集』に出会った。南原は、戦後、東大が掲げてきた軍事研究禁止の原則において象徴的な存在の一人だ。東大では、現在でも軍事研究禁止を「南原三原則」と呼ぶ人もいる。

(中略・南原文献の引用部分から)
「大学は国家の名において学問研究の自由の範囲が著しく狭められ、時の権力者によって都合よき思想と学説が保護せられ、これに反するものはしばし迫害せられ、弾圧せられ来った…われわれは、わが国の教育をかような官僚主義と中央集権制度から解放し、これを民主的また地方分権的制度に改編しなければならぬ」

「国の政治に何か重大な変化や転換が起きるときは、その前兆として現れるのが、まず教育と学問への干渉と圧迫である。われわれは、満州事変以来の苦い経験によって、それを言うのである」

「大切なことは政治が教育を支配し、変更するのではなく、教育こそいずれの政党の政治からも中立し、むしろ政治の変わらざる指針となるべきものと考える。…いまの時代に必要なものは、実に心理と正義を愛する真に自由の人間の育成であり、そういう人間が我が国家社会を支え、その担い手になってこそ、祖国をしてふたたびゆるぎない民主主義と文化的平和国家たらしめることができる」

 数十年前に書かれた文章である。私は、南原が分析したかつての日本の状況と、いまの日本が直面しつつある状況が重なっていることに驚きを禁じ得なかった。
 2005年以降から膨張する世界の軍事費や武器輸出の状況を見れば、軍備の拡大が、世界の平和や安定とは懸け離れ、世界各地で勃発する紛争の火種になっていることは一目瞭然だ。それでも日本は欧米列強に続けと、武器輸出へ踏み込んだ。
 戦後70年、日本は憲法九条を国是とし、武力の放棄、交戦権の否認を掲げた。それらを捨て、これからを担う子どもにとって戦争や武器を身近でありふれたものにしようとしている。この状況を黙って見過ごすわけにはいかない。


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2014年末に選定された無人偵察機。購入予算の総額は1000億円前後だとか。どういう経緯なのか、「10倍高い買い物」という指摘もあるそうだ。
無人機なので当たり前だが、有人機には当然ある「コックピットの窓」がない。なんとも不気味だ。
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オバマ政権で急増した無人攻撃機。
2013年の国連人権理事会によると、04年以降、アメリカ、イギリス、イスラエル軍などの無人攻撃機によるイスラム過激派への暗殺攻撃で、パキスタン、アフガニスタン、イエメンの3か国で、少なくとも民間人479人が死亡。パキスタンでは、部族地域で330回以上の無人機攻撃が行われ、2200人が死亡、うち400人以上は民間人、200人以上が非戦闘員の可能性があるとか。

「プレデター」の操縦士は、戦場へ赴くことなく、一般サラリーマンのように国内で日常生活を送りながらこれを操作する。けれどそれは、殺戮行為にほかならず、高解像度の画像を見ながら操作するので、攻撃の成果をつぶさに見てしまい、心を病む兵士が後を絶たないとか。
2015年6月のニューズウィーク誌では「REFUSE TO FLY(飛ぶことを拒否せよ)」と題して、無人攻撃機の操縦士に向けて、45人の退役軍人たちが連名で任務放棄を呼びかけた。
元軍人たちは、「アフガン、パキスタン、イエメン、ソマリア、イラク、フィリピンで、少なくとも6000人の命が不当に奪われた。無人攻撃機による攻撃は、国際法違反で人権の原則にも反している」と訴えた。
無人攻撃機の操縦士たちは、その任務を続けるうちに次第に無感覚になって「ゾンビモード」になるという。自らは戦場に赴くことなく、リアルなリスクにさらされることはないのに、心に大きなダメージを受けるのだ。

どんなに技術が進歩しようが、戦争は戦争。人殺しは人殺し。こんなことが許されるわけがない。せっかくの平和国家が、戦争に突き進むようなことは決して許してはならない。
この国を、戦争のできる国にするな。
この国の企業を、カネのために「死の商人」にするな。
この国の科学者たちを、殺人兵器の制作者にするな。

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