『安全登山の集い』2016
大阪府山岳連盟「安全登山の集い」にサバイバル登山家・服部文祥さん。
師匠の和田城志氏は「ビビる山ほどいい山」と述べており、自らも、死ぬために登っているわけではないが、危険なほど魅力を感じるような部分はある。だから「安全登山の集い」の話としてふさわしいかどうかわからないのだが、というような導入。
初のエクスペディションでK2に行ったが、キャラバンに1週間かかる山域で、物資運搬を現地のポーターに担ってもらった。20㎏の荷物を8時間かかる距離を運んでもらった日当が日本円で一日400円、1週間で2800円。予算的にそれ以上は払えなかったが、経済格差で成り立っている登山のスタイルに疑問を感じた。また、ほぼ同年代の若者である現地ポーターたちは、総じてアウトドアレベルが高く、日本人隊員と入れ替わったらほとんどの人がラクにサミッターになれるのではないのか、とも思った。そんな登山をしている自分への疑問が湧きあがったが、とりあえずK2サミッターになれたことで、いろんな意味でラクにはなれた。
その後、フリークライミングを志向し、自分の持つ力のみで登ることにトライする中で、“誰かが作った登山道”を歩くことは、ボルトラダーを登ることと変わらないのではと考えるようになって、いわゆる“サバイバル登山”を志すように。
“食は慣れ”で、自分で捕まえた生き物を食べるとき、最初は「これを食べても大丈夫だろうか」と胃が痛くなるほど緊張することもあったが、朝起きて大丈夫であることを確認し、それを繰り返すうちに、大丈夫だということがわかって初めて味がわかるようになってきた。不安でも繰り返し食べているうちに慣れて、だんだん味がわかるようになる。
人類の長い歴史を考えたとき、自分が食べるものを「金で購入すること」の方がむしろおかしいのではないか。
その他いろんな話があったが、極にゃみ的に響いたのはこのあたりのこと。
“サバイバル登山”というタイトル(あるいは“肩書”)に関して、
「一昔前の田舎育ちにとっては、家畜などの生き物を殺して食べることは普通だったし、鍋やナイフなどの道具を使っているのにサバイバルというのはなにか違うのでは?」という、質問だかなんだかわからない質問があった。
それに対しては、「ある程度売れるタイトルをつける必要があったために当初つけたタイトルからきている」との回答。
極にゃみ的には、“電気で動くものは持って行かない”、“米と調味料だけしか持って行かない”だけでも充分インパクトがあると思うけど。厳密な意味でのサバイバルかどうか、はどうでもよくて、そういうスタイルの山行を実践していることには大きな意味があると思うのだが。
本持って出るの、忘れてんなー。シカの角で自作されたユニークなはんこを押してもらえたのになー。ザンネン…
★2015年度…ココ!(角谷道弘氏)
★2014年度…ココ!(谷口ケイ氏)
★2013年度…ココ!(山本 正嘉教授)
※その後の飲み会の席でもいろんなお話を伺ったのだが、極にゃみ的に驚いたのは…
『サバイバル登山入門』の中の記述、
「少ない余生を楽しもう。」の件が最大にツボった、という話をしたら、
「そんなこと書いてましたっけ…?」と。
あんな強烈なフレーズを、、、 …覚えてないんだ。びっくり。
次々とたくさん書いておられるので、細かい部分まで覚えてられない、ということなんだろうな。たまーにしか表に出る原稿を書かない私には、想像がつかない世界だけど。
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