『誰が平和を殺すのか (佐高信の緊急対論50選) 』
まえがき「はじめに」から
六月に和歌山に講演に行った時、帰りに新大阪駅で新幹線に乗ろうとして、バッタリ、亀井静香さんに会った。そして、東京までの二時間余りを二人で話してきたのだが、時折り通りかかる人が、
「エッ」
というような顔で見て行く。
多分、亀井さんと私の組み合わせが意外なのだろう。
それで私は、自民党、社会党、新党さきがけの、いわゆる「自社さ」政権が誕生した時、社会党と会派を組んでいた参議院議員の國弘正雄さんが、
「政治は、時に"strange bed fellow"つまり、奇妙な同衾者を生む」
と言っていたのを思い出した。
同時通訳者としても名高い國弘さんらしい言葉である。
当時、亀井さんは自らを「ハトを守るタカ」と称していたが、亀井さんは両面を持っている。
悪いことができない人はいいこともできないのであり、この逼迫した状況下に両方できる人として亀井さんに登場してもらった。この本のための巻頭対談である。
亀井さんが自民党にいたころは、青嵐会の後を継ぐ国家基本問題同志会などをつくって、右翼的言動を繰り返してもいた。それについては私も激しく批判したが、イラク戦争の時には、加藤紘一さんなどと一緒にイラクへの自衛隊派遣を延長しないよう、当時の小泉首相に申し入れたりもしている。
亀井さんで一番驚くのは、筋金入りの死刑廃止論者であること。廃止を推進する議員連盟の会長として、森山(真弓)法相が続けて死刑を執行した時には、
「大臣はすべからく現場に出ることが大切なのだから、どうしても死刑を執行したいなら、それに立ち会え」
と言ったという。
この、至極もっともな提案には、彼女は答えられなかったとか。
二〇〇五年には土井たか子さんらが呼びかけ人の「憲法行脚の会」に招かれ、土井さんと憲法論議をしている。
亀井さんは、二〇〇一年秋に、ある雑誌で次のように日本の経営者を批判しているが、残念ながら経営者の質はさらに悪くなっていると言わざるをえない。
「例えば日立でも東芝でも大量のリストラをするでしょう。昔から不景気のときでも、経営者は歯を食いしばって従業員を解雇しないで、日立一家とか東芝一家といって我慢してきた。ところがいまは余剰人員を吐き出すのが構造改革だといってリストラをする。リストラをすれば株価は上がる、そんな簡単な分析がまかり通っている」
久保田万太郎の「何もかも昔の秋の深きかな」を引いて〝昔〟を持ち上げるわけではないが、たとえばトヨタで、かつて、大量の首切り(いまどきはリストラという)をやった時、社長は自らの首も切った。
ところが、日立でも東芝でもパナソニックでも、首切りという最も安易な再建策をあたかも自分の手柄のようにして居すわる。鉄面皮も甚だしいと言わなければならない。だから、亀井さんに次のように詰られるのである。
「自らニュービジネスを創設して余剰人員を吸収するといった努力をするなら話はわかるが、それもしないで簡単に従業員の首を切って政府に突き出して、失業保険などで面倒をみろというのでは、いくら理想論を言ったって大きな政府にならざるをえないじゃないか。改革とは逆なことを民間の経営者たちは堂々と〝そこのけそこのけお馬が通る〟でやっている。それが企業が身軽になるアメリカ的経営であるというんですからね」
正論だろう。しかし、いまはそれが〝異論〟として脇に押しやられる。
亀井発言の中の〝民間の経営者〟で一番無責任なのが、あるいは銀行のトップかもしれない。
亀井さんの弾劾は続く。
「日本の資本主義はもう死んでいますよ。原始時代に返っているんだ。だって金融がなくなってしまったんだから。金融のない社会というのは原始社会です。貸したり借りたりして経済が動いていなければ資本主義は成り立たない。それが『貸しません』となれば、もう物々交換の経済でしょう」
亀井さんは死刑廃止論者だけに、その首切り反対論には迫力がある。
最後に、亀井さんだけでなく、この本への収録を認めて下さった対論者のみなさんに、改めてお礼を申し上げたい。
第1章 国家の嘘を見抜く
ピーター・バラカン氏
こんなにもバカにされてるのに、なぜ?
P73
日本人は政治に無関心な人が多いですね。民主主義って一人ひとりが勝ち取ったものでなければ、価値がない。自分たちの民主主義を勝ち取ろう! という気持ちがどうして起きないんでしょうね? ときどき不思議なんです。原発の問題にしても、こんなにも騙されて、馬鹿にされて、もうプッツンしてもいいはずなのに、しない。諦めちゃってるのかな? どうせあがいても無理なんだからと思っているのか。
原田正純氏
「水俣病」―未来への教訓
原田 水俣病は終わってないですよね。あのときどんなに少なく見積もっても不知火海沿岸には二十万人くらいの人が住んでいて、等しく汚染されたという事実があります。五十年経って半分亡くなったとしても十万人くらいの人はまだ影響を受けておられる。その人たちを今までは、水俣病かどうかと選り分けていたわけですが、本来ならここまでが水俣病でここからはそうでないなどという線は引けないはずです。
(略)
本当に家の中がガラガラでね、ふすまとか畳とかがボロボロ。そこに子どもが寝かされて親はいないんです。それで子どもと話をしながら台所に行って、何を食ってんだろうと思って鍋を開けてみると魚が煮付けてあるから親が帰ってきたときに、魚をどこで取ってきたの、まだ危ないよって言うと、いや先生大丈夫ですよ、ずっと向こうから取ってきたという。嘘とわかるわけです。だけどその当時はそうしないと生きていけなかったですね。
この国には、善良な市民が知らないことが多すぎると思う。苦しんでいる人々、つらい思いをしている人々がたくさんいるのに、そのことを知らずに日々の安楽をむさぼっているとしたら、いつか立場が逆転した時に、自分が見殺しにされることを意味するのだと思うのだが。
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