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『日本の大問題 現在をどう生きるか』

日本に健全な森をつくり直す委員会」事務局長の天野礼子さんが、Nihon_daimondai_2同会の委員長である養老孟司氏へのインタビューと、同委員である藻谷浩介氏を交えた対談(実際には天野氏を含めた鼎談という形で進行)をまとめた一冊。教育論から始まり、今のこの国の情勢や、日本人の生き方など、まさにタイトル通り「日本人の大問題」が語られている。

かなり長めのプロローグ「情報に頼らずに生きる —養老孟司の教育論」、第1章『現代はどのような時代か』、第2章『現代社会の行き着く先』、第3章『人はなぜ学べないのか』、第4章『「状況」に気をつけよ』、それぞれに面白かった。

『日本の大問題 現在をどう生きるか』
養老 孟司,藻谷 浩介 著
中央公論新社 刊
2016年7月 初版発行

例によって少し抜粋。

かなり長めのプロローグ『情報に頼らずに生きる』から
P32
 人間には、デュナンのように言葉にしたり、オーガナイズしたりして活動する人と、納骨堂のような具体物を作る人の二通りがあります。
 僕は、現代社会は、物事を言葉にしたり、オーガナイズすることが行きつくところまで行くところまで行った社会だという気がしています。それさえ維持することが難しくなり、会社は正規雇用を厭い、非正規雇用ばかりにしてきているのだと思っています。
 一方で、その反動というわけでもないでしょうが、お金はたいして儲からないにも関わらず、田舎に行って農業や漁業をやったりして暮らす人たちが出て来ています。そもそも生きるというのはそういうことでしょう。出発点に戻ろうと考える人たちが出て来るのも当然のことです。そこにあるのは、日本の裸の本音―土や水などの自然に触れながら生きているのが一番いいという常識がようやく育ってきているのかなとも思います。


1章『現代はどのような時代か』から
P82
石油が作った戦後の都市構造
藻谷 戦後、戦って得られなかった石油を使い放題になった日本は、ユースバルジを受け止められるだけの雇用を、石油を湯水のように消費する大都市の中で創造する。土や自然から切り離され、部屋の中で座って仕事をする人が急増していく。私は養老先生のおっしゃる「脳化」という言葉をはじめて見た時に「これこそいまの日本を象徴する言葉だ」と思いました。首都圏という「脳」に人口の四分の一が集中しているのもそうですが、地方でも都市化した部分に人口のほとんどが住んで、その多くが自然とは無関係に生きている。
養老 その一筋です。第一次産業に従事する人の率を考えればわかります。一九五五年からどんどん減って、現在は十分の一にまで減っています。ひたすら減りました。
藻谷 自動車は、それまであった「ヒューマンスケール」というものを変えてしまった。養老先生は、鎌倉にお住まいです。戦前に作られた住宅地である鎌倉は、地形と人間のサイズに合わせた徒歩動線中心の街路設計をいまに残す、珍しい例です。東京でも、たとえば世田谷区には、大昔からのあぜ道と小川をそのまま街路の骨格としているエリアがあり、ごちゃごちゃですが、歩くとおもしろい。
 しかし戦後の日本では総じて、車移動での効率を最重点として、続々と丘陵部や埋立地が開発されてきた。どこにいっても同じような感じの郊外が、延々と続く国になってしまった。


P101
個人の判断と国の判断
藻谷 個々人の常識的な判断を汲んでいるとまとまらない。だからといって集団の暴走は困る。となると、何か客観的な基準がないかということになるのですが、テーマによってはお金の損得というのが、意外に妥当な基準になるのです。
 たとえば諫早湾の干拓事業は、むだな自然破壊だというのがまっとうな評価だったでしょうが、仮に自然など破壊してもかまわないという考えだったとしても、金勘定から言って損でした。食料不足の時代の計画を半世紀後に実現し、諫早湾を干拓して田んぼや牧場を作っても、いまや経済的価値はない。佐賀平野にいくらでもある休耕田を使えば、同じだけのものは簡単に生産できます。干潟を残して国内最高級の有明海の海苔を守ったほうが、明らかにお金になる。損得から考えれば漁業資源を優先し、いまからでも遅くないので開門、ということになるはずです。

養老 お金で考えると原発はどうなりますか。
藻谷 原発も金銭的にペイしないものです。原発が安いというのは、使用済み燃料や廃炉から出る高濃度汚染された資材の処理費を計算に入れていないから言える話で、今後何万年も安全に保管し続けなければならないこれらの負の遺産を計算に入れたが最後、現在価値は無限のマイナスです。仮に事故はもう未来永劫起きないとしても、ですよ。
 では電力会社はなぜ再稼働にこだわるかと言えば、これら負の遺産は国が処理する、という口約束を信じているフリをしているからですが(信じていないというと、その時点で負担を押し付けられますから)、もし本当に国が処理するのならば、電気料金が安くなる分だけ国民の将来の税負担が高くなります。ところが経済人もみなさんサラリーマンなので、将来国民として負担する分が増えてもいいから、自分が経営している間の電気料金が下がって目先の収支が良くなるほうが、株主総会を乗り切りやすいと考える。本当は電気料金を下げたいなら、輸入燃料が高くなる円安への誘導こそ最大の問題なのですが、なぜか円安にして電力会社の採算を悪化させつつ、その分は原発を再稼働して、国民の後年度負担を増やしつつ埋め合わせようとする。やっていることがもう無茶苦茶です。

養老 日本の原発に保険をかけるとしたら七〇〇兆円になるとか聞きました。
藻谷 実際には、先ほどの議論では無視した事故のリスクを計算に入れるので、さらにそういうことになります。ということで、お金を基準に物事を動かすアメリカでは、原子力発電所の新設はなくなってきています。一方で、中国やインドではたくさんの新設計画があります。中国とインドの場合は、原発を作らないと石炭を燃やすしかありません。これはこれで、大気汚染でからだを壊す人、死ぬ人が増える。仮に原発事故が起きたとしてもまだ安いものだという計算が成り立つのです。これまた自暴自棄な話ですが。

第2章『現代社会の行きつく先』
養老孟司の予言?
P118
(略)
養老 歴史的には、特に近代以降、都市化が進んで来ましたが、二一世紀には都会と田舎がほどほどの割合で納まっていくように思いますね。
藻谷 みなが自分だけの城に閉じこもって純粋消費者として暮らせるのが都市という空間です。ですが田舎では、都会より濃い近隣の人間関係がそれを許さないのみならず、「自然」という大きな他者が身近にあります。都会で自分の世界にこもるだけではなく、田舎に通う、あるいは移り住むことで自分以外の他者の存在を感じる時間も持つ、そういう人が増えるということでしょうか。先生の提唱される「現代の参勤交代」ですね。
養老 一番理想的なのは、方々にコンパクトシティがあって、その周囲のほとんどが田園になること。そういう形で安定すれば、もうそれでいいのではないでしょうか。そのためには、街はもっとしっかりしなければなりませんし、田舎は田舎で、新たに住みたい人たちの要求にきちんと応えていかなければなりません。

第4章『「状況」に気をつけよ』
消去法的な世界観
P210
藻谷 (略)ついでに言いますと、世の中が無茶苦茶になってから果敢に抵抗するのは、英雄的な話としてはおもしろいけれど、そもそも英雄が必要な状況になる前に止める方がずっと良い。そう思いながらささやかに行動しているのですが、無茶な金融緩和などを見ていると、どうも本当に雲行きが怪しくなってきました。


★これまでにレビューを書いた同じ著者の本
里山資本主義
養老孟司の大言論I 希望とは自分が変わること
養老孟司の大言論II 嫌いなことから、人は学ぶ
養老訓


★関連するエントリ
里山資本主義、そして関西への提言 」(講演)

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