『熱狂なきファシズム-ニッポンの無関心を観察する』
観察映画”で知られる映画監督、想田和弘氏の著書で、ずっと読みたいと思いつつ、なかなか手をつけられなかった本をようやく読了。昨今の、奇妙なこの国のあり方…じわじわと、低温やけどのように民主主義が崩壊しつつある姿…を、冷徹に“観察”するように書かれた一冊。
極右としか思えない閣僚が何人もいること、ヘイトスピーチが公然とまかり通る、反知性主義の台頭…、どれも気味が悪すぎるのに、誰も気にしていないかのように見える。ファシズムは、気づいたときにいは手遅れ、というものだが、はて、この一見のどかに見える国はどうなっていくのか。
一読しておくべき一冊だと思う。政治家の国語力でんでん、ってな話ではないのだ。
『熱狂なきファシズム-ニッポンの無関心を観察する』
想田 和弘 著
河出書房新社 刊
2014年8月 初版発行
例によって少し抜粋。
まえがきのような「熱狂なきファシズム」論 から
P10
だが、今のままではファシズムへと向かう安倍自民党を食い止めることは、至難の業だと僕は思う。
“コソコソ戦略”を採る安倍氏らをストップさせるには、まず彼らの政策や動向の一つひとつを主権者が詳しく吟味し、問題があれば反対の声を粘り強く上げていく作業が不可欠だが、残念ながら、日本の主権者のマジョリティは、そのような意欲も時間もないし、責任も感じていないからである。
その背景には、日本社会に蔓延している「消費者民主主義」(これも僕の造語だ)とでも呼ぶべき病の存在があると、僕は考えている(詳しくは拙著『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』岩波ブックレット、を参照されたい)。
つまり私たち主権者の多くは、自らを民主主義を作り上げていく能動的な主体ではなく、政治家が提供する政治サービスを票と税金を対価として消費する受動的な「消費者」であると、誤ってイメージしているのではないか。
「民主主義、そろそろやめにしませんか?」という自民の提案 から
P44
実際、自民党が作った改憲案はあまりに酷くて、お話にならない。
一言でいえば、「日本は民主主義をやめます」という内容である。ワイルズ博士が「この第4条を削除すれば、日本がファシズムへの扉を開くことは、避けられないと思いますよ」と危惧した通りである。
「恐ろしいのは、安倍政権が麻生氏の言う通りのことを、着実に実行しつつあることである」 から
P81
麻生太郎副総理が、ナチスを引き合いに出した看過しがたい問題発言をした。
(略)
ご覧の通り、麻生副総理はまず、靖国神社の参拝問題を「マスコミや国民や近隣諸国が不必要に騒ぎ立てている例」として挙げている。つまり、麻生氏にとっての反面教師である。
その上で、ワイマール憲法が「ナチス憲法」に変わったことを、「だれも気づかないで変わった静かな改憲」の成功例として引き合いに出している。そして「あの手口を学んだらどうかね。わーわー騒がないで」と述べている。つまり、麻生氏は「ナチスのやり口を参考にして取り入れろ」と発言しているわけである。
P87
現代日本社会の進む方向と、その進み方を観ていると、麻生氏がいみじくも引き合いに出したように、一九三〇年代ドイツで起きたことをどうしても連想してしまう。
ファシズムの台頭と、民主主義の自殺である。
ただし、ナチスの場合と違って、そこに熱狂はない。
しらけムードの、無関心と無気力が原動力の、「熱狂なきファシズム」が、静かにだれにも気づかれずに進行している。
そんな気がしてならない。
では、そういう民主主義の病の進行を食い止めるには、いったい全体、どうすればいいのだろうか?
たぶん、麻生氏が一番嫌うことをするのがよい。
「わーわー騒ぐ」のである。
僕は本欄その他で、僕なりに騒いでいるつもりだ。この状況に危機感を抱く主権者のみなさんも、ぜひ騒いでいただきたい。
「ミッドライフクライシス」 から
P128
いまだに「成長戦略」なるものを唱える安倍晋三首相が打ち出した「アベノミクス」などには、衰えつつある肉体を何とか若返らそうと、筋肉増強剤を打って筋肉モリモリになろうとしている中年の姿を重ねてしまう。それでとりあえず株価が上がり円安になり、筋肉がついた感じがしたものだから、人々は何となく若い頃の元気を取り戻したような気がして支持したりしている。そして今度はTPPなどという、筋肉増強剤のオバケか、一度始めたらやめられない覚醒剤みたいなものに手を出そうとしている。
「必要なのは配慮ではなく覚悟である」
P162
思えば、原発事故そのものも「原発は絶対に安全である」という結論先にありきの台本を優先し、それに合うデータや専門家の意見ばかりを都合よく集め、現実を虚心坦懐に観ることを怠ってきたがために、起きつつある惨劇だといえよう。
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