『フリースタイルな僧侶たち』
先日のシンポジウム「まちかど博物館のつくりかた」で配布された冊子。京都の若いお坊さんたちが発行されている季刊誌で、現在48号がリリースされている。A4版16ページのライトな体裁だが、浄土宗、真宗大谷派、浄土真宗、天台宗、真言宗、臨済宗など、宗派を超えた多くの寺院が協賛に名を連ね、約14000部が配布されている。
★『フリースタイルな僧侶たち』
初めて手にしたのだが、今号は扉に“浄土系アイドルグループ「てら*ぱるむす」”、メインの特集が「おてらおやつクラブ」の紹介。
浄土系アイドル、かわゆい。極にゃみ的には、“ドルヲタ”ではないけど…
ちなみに、メンバーの一人で弥勒菩薩の化身miroさんは、昨年11月のライブを最後に、兜率天に帰還。仏教を歌と踊りで伝える新メンバーの菩薩を募集中だそう。
んー。摩耶のお山のお寺より、もっとぶっ飛んでるカモ…
そして、特集の「おてらおやつクラブ」。
以前に何かで目にしたことがあって、気になっていた活動。お寺にお供えされたお菓子やお米などの食品を、全国の母子家庭支援団体や子ども食堂に届けるというもので、2014年に活動をスタート。
仏さまへの「おそなえ」を仏さまからの「おさがり」として、必要な方へ「おすそわけ」。とても素敵な取り組みだと思う。全国のお寺に広がってほしい。
記事から一部引用する。
7人に1人。これは、厚生労働省が行う国民生活基礎調査で示された2015年時点での「貧困状態にある(18歳未満の)子どもの数」だ。この場合の「貧困」とは、生存の危機に関わる「絶対的貧困」ではなく、「その社会で他の人ができている“当たり前”の生活」を送ることが困難な「相対的貧困」のこと。「ひとり親世帯」の過半数は、この相対的貧困の状態にあるという。
「貧困」と聞くと、つい、海外のニュースで目にするような、その日を生きるのに事欠く状態をイメージしてしまう。さらには、そのような絶対的貧困の状態でなければ、「貧困ではない」とも思ってしまうかもしれない。
「貧困」という言葉から想起するこうした思い込みもあって、周囲から見えにくく気づかれにくいのが、相対的貧困の難点だという。不自由なく暮らしているように見えても、実は家計に余裕がなく、学習塾や習い事、修学旅行やゲーム等の娯楽など、“普通のこと”をするのが難しい子どもは思いのほか多いのだ。
ところで、ひとつ気になることがある。
誰かのツイートで見かけたと思うのだが、「“キモいおっさん”は、手を差し伸べる優先順位が低い」というもの。困っている子どもには、誰もがためらわず手を差し伸べる。女性も、たぶん。でも、壮年男性だったら?もっと言えば、薄汚い身なりをした、年配者だったら?
仮想通貨の流出で話題になった会社の社長さん?が「人が倒れてると思ったらホームレスおばさんだった…心配して損した」とtweetして大顰蹙を買ったが、口にせずとも、同じように感じている人は少なくないと思う。そういう自分だって、道端にホームレスの方が寝そべってても、おそらく「大丈夫ですか」と声を掛けたりはしない。それが“常態”だと認識してるから。
昨年末のクリスマスの日、神戸のメリケンパークで、一人のホームレス男性が亡くなられた。状況はわからないけど、おそらく倒れているのを見た人も、誰も声を掛けなかったのだと思う。
このことは、どうすればいいのかよくわからない。でも心にとめておいて、考えてみようと思う。
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