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『食を考える』

植物遺伝学の専門家によるエッセイ。Syokuwo_kangaeru_2約20年にわたって書き溜めたものを編み直したもので、「食の環境負荷」、「今どきの食」、「ハイテクと食」、「生物多様性と食」という4章からなる。
わでしんいちさんによる、ちょっととぼけたイラストがまたいい味を出していて、たのしく読める一冊。

『食を考える』
佐藤 洋一郎 著
わで しんいち
挿画福音館書店 刊
初版発行  2012年9月

「食の環境負荷」では、外食産業や大量生産される加工食品に関して、問題点を指摘。
近年定着してきた、すぐ食べられる状態のお惣菜など、“中食”に関しては、大量に作ることによって効率化が図られるので、安価に、手軽に、多種類のメニューが手に入るメリットが語られることが多いが、大量流通のためには大量のエネルギーが使われること、「工業化した食」によって食文化の画一化といった問題点もある。

少し抜粋。

中食と外食 から
P23
 中食は外食同様、女性の社会進出とかかわって生じた新たな産業であるに違いないが、外食との大きな違いは食品が家庭の食卓に持ち込まれている点である。(略)
女性が台所に立つ時間を減らせたとするならばそれはそれでよいことだ。だが、それを中食や外食だけに背負わせたということは、結局のところその分だけ石油を使うようになったということを意味する。女性の台所からの解放は、その半分を男性が負担するという形で解決すべきだったのである。

エビと日本人 から
P26
 日本人はエビ好きである。一人当たり年間約三キロを消費した時期もある。最近は消費量が落ちてきているが、それでも『エビと日本人』(村井吉敬著 岩波書店刊)という本があるくらい、日本人はいろいろな意味でエビと深く関わりながら生きてきた。(略)
しかしエビもまた、他の多くの食材同様、そのほとんどが輸入品である。輸入の割合は消費量の九割を超えると『エビと日本人』の著者である村井吉敬さんは書いている。(略)
東南アジアなどの養殖池は一九七〇年ごろから、海岸部に広がっていたマングローブの林を切って開かれた。(略)
エビの養殖が盛んになるまでは、海岸にはいたるところにマングローブの森があった。マングローブの森は、誰のものでもない、地域の人びとみんなのものだった。そこにはさまざまな海の生き物たちが生きていた。そしてその生き物が、人々の暮らしを支えていたのだ。(略)

薬剤に汚染され、高い濃度の栄養分を含んだ水が海に流され、周辺の海の生物にもまた悪影響を及ぼした。つまり、海の環境が破壊されたのだ。
(略)さらに、新興の産地が人件費の安い国に次々作られると、従来の産地は価格の上でたちうちできなくなってやめてゆくのである。養殖がおこなわれなくなり放棄された養殖池が広がったさまは、まるで死の海だ。(略)
私たちがここ何十年かの間にエビを輸入し続けたその結果が東南アジアの沿岸部各地に広がる「死の海」の原因の一つであることは疑いがない。
 そして日本人は単にこの問題の「加害者」であるばかりではない。養殖のエビは、遠く離れた輸入国日本の消費者にも暗い影を落としている。抗生物質などの薬剤をたくさん投与されたエビを食べた私たちの身体にも、それらの薬剤は間違いなしに入りこんできた。養殖の食べ物を食べ続けることで、私たちは知らず知らずのうちに多量の薬剤を摂取しているかもしれないのだ。(略)

海の生態系を壊しながら生産した安いエビを食べまくるという構造は世界に広まりつつある。世界の海が、危ない。このままでは私たちは、加害者であると同時に被害者になるかもしれない。

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ファストフードに関しても、安い農産物を求めてディーラーが世界中を飛び回り、価格競争が激化することによって、大量のエネルギーが消費され、農地が使い捨てにされ、あとには不毛の土地と疲弊した民が残される。地域の食文化は廃れ、人々の健康が損なわれ、環境が破壊されていく。

主な食肉である牛、豚、鶏を安く大量に“生産”するために、かつては人の食糧だったトウモロコシなどの穀物が大量消費されている。狭い空間で大量の家畜を飼育するために、抗生物質などの薬剤が投与される。それでも、鳥インフルエンザや、口蹄疫などの流行は止められず、大量処分される。いいことはひとつもない。

近年話題になりつつある「仮想水」についても触れられている。
たとえば、小麦や大豆を生産するためには、重量比で、収穫物の2000倍から2500倍の水が必要となる。1㎏の小麦を生産するために、2トン~2.5トンの水を要するということ。

水など、空からいくらでも降ってくる、と日本では思うかもしれないが、小麦や大豆の産地は、世界的に見ると降雨量の少ない乾燥地が多いそうだ。
それらの土地では、農業のために灌漑水路を引いたり、地下水をくみ上げたりしているが、灌漑水に含まれる微量の塩分が地表で濃縮され(塩田と同じ原理)、砂漠化するという現象が起きているとか。古代メソポタミアや、楼蘭王国が滅びたのも、塩害が原因という説もあるそうだ。
つまり、乾燥地で作られた農産物を大量に輸入している日本は、その土地の荒廃に関与している。
 一方、この国では、耕作放棄地がいくらでもある。食糧自給率の低さは先進国の中でも群を抜いている。“国防”のためにバカ高い兵器をアメリカから買うより、食糧自給率を上げる方がはるかに安全保障になると思うのだが。

引用
P53
 少しおおげさな言い方だが、一杯の天ぷらうどん、一杯の牛丼が世界の乾燥地を砂漠にし、農地をどんどん駄目にしてゆく危険性がある。こんなことをしていると、農産物を作ることのできる土地は地上からどんどん姿を消してゆく。どんな国でも、使える農地が減れば自国民の食をまかなうことが優先され、輸出は後回しになる。農地が減らなくても、自国の消費が伸びれば、輸出の余裕がなくなって同じことが起きるだろう。今、農産物を輸出している国が、いつまでも食糧輸出国のままでいるとは限らないのだ。このように考えれば、水に恵まれた国であるその日本が、水が必ずしも豊かでない諸国で作られた農産物を、それも多量に買いつけるのは、倫理的にも問題だと思うのだが、どうだろう。

「地中海と魚料理」では海と森の関係が解説され、豊かな森から流れ出す水が海の生物相を豊かにすること、大きな川がほとんどない地中海の南側には、あまり魚がいないことが紹介されている。

「骨付きの魚」では、食の生産と日常生活が切り離されて、「食べ物が何からできているのか」「どうやって作られているのか」を全く知らない、考えたこともない子ども(大人も)の存在に触れる。
遺伝子組み換え食品のこと、野菜工場のことなど、新しいテクノロジーについても考察。
そして、原発事故による食品汚染について、最後の下りを引用する。

原発事故と食の安全 から
P134
 内部被曝が現実のものとなってきたことで、長期的影響がだんだん無視できなくなりつつある。長期的影響で心配なのは、やはりがんである。放射線の被爆が発がんのリスクを高めることはよく知られている。被曝は、主に、大気中の汚染物質が身体についたり、あるいは吸い込んだり、水や食べ物を通して体内に入ってくることで起きる。私たちは、放射線そのものを浴びることで被曝が起きると何となく考えていたが、それだけではない。今回のように土壌や水が汚染されると、そこで栽培された作物はその汚染物質を根から吸収する。汚染された牧草を食べた家畜もまた汚染される。放射性物質が食べ物を通じて取りこまれれば、その一部は食べた人の体内にとどまることになる。放射性物質のある部分はいずれ体外に排出されるが、骨などに入った場合は簡単には出てゆかない。身体は長期にわたって、内部から被曝し続けることになる。がんの心配が現実のものとなってくる。
 食べ物のうちで事態がもっとも深刻なのは魚だろう。泳ぎ回る魚が、どこをどう泳いだ末に釣り上げられたかなど簡単にはわからない。大型の魚の場合、その餌となった小型の魚がいつどこにいたかを知ることなどほとんど不可能だ。しかも、生体濃縮といって、大型魚など食物連鎖の頂点にいる動物の体内には、汚染物質は濃縮されてたまってゆく。汚染物質が広い海によって薄められても、この生体濃縮の可能性を考えると、魚への影響は未知数と言うべきであろう。(略)

 おそらく、今の科学はこの問いに明快に答えることができない。がんの発生はあくまで確率的なリスクである。つまり、危険度は天気予報と同じく「□△%の割合で起きる」、というような言い方しかできない。確率がどんなに低かろうと、運悪く発症してしまえば、それは100%である。「降水確率ゼロだったのに雨に降られた」のと同じく憤懣やるかたなし、というコトになる。反対に放射線はがんを必ずしも発症させるともいえない。(略)

P138
(略)結局のところ、今とり得る合理的で簡便な方法は、汚染されている可能性のあるものはできるだけ避けるように努力するほか、いろいろなところでとれたいろいろなものを、なるべくまんべんなう食べる、野菜などはよく洗い、茹でるなどしてから食べるということくらいのことだろうか。

福島原発の事故少しあとに書かれたものだろうが、忘れてはいけない。
大量に放出された放射性物質のうち、セシウム137、ストロンチウムは約30年。30年経ってようやく半分になるということ。プルトニウムにいたっては2万4000年だ。
そして、セシウム以外は測ってもいないから、どれだけ放出されたのか誰にもわからない。そして、今現在も、放射性物質は放出され続けているということを。

最終章の「生物多様性と食」では、いろいろな食材について。
なすび、ヒョウタン、ネギ、パスタ、麩…
「和牛」の項では、2010年の口蹄疫のことについて書かれている。
宮崎県で口蹄疫が大流行し、何十万という数の牛や豚が殺された。
口蹄疫は感染力が強く、いったん流行が始まると、大流行となる。しかし、致死率は決して高くないそうだ。だが、感染した家畜は、法律によって「処分」しなければならないことになっている。多くの牛や豚は、病死ではなく、人の手で殺されたのである。

和牛の場合、肉質をよくするために、優秀な種牛の精子を冷凍保存し、人工交配が行われているとか。「平成勝(ひらしげかつ)」という種牛は、のべ24万頭とも、30万頭とも言われる仔牛の父親だそうだ。各地に、そんな雄牛がたくさんいるとか。

引用
P178
 つる牛についての統計を私は知らないが、おそらくは同じようなことが起きているだろう。だから、限られた数のつる牛に、これまた限られた数の種牛を交配することで、今の和牛の世界は成り立っていることになるのである。和牛の世界からは、遺伝的多様性が失われていることは間違いがない。(略)
 だが、肉質の向上とひきかえに失ったものがある。多様性の喪失は、大きな経済的損失を招くリスクを高くしている。歴史を紐解けば、多様性をなくしたために飢饉が起きた歴史が世界の各地にいっぱいあったことが知れる。結局、今という時代における効率や質の追及は、未来社会における大きな損失につながってゆくかもしれない。

Dsc05682  結局、農業も畜産も、自然が、生き物が相手。そこに、「効率」を求めるのは、無理があるのだ。
 「箱に入れられた食品」を買うことが、地球環境に負荷をかけていることを自覚すること。大量買い付けで大量生産された商品を買うことは、地球の裏側の環境を破壊しているかもしれない。その土地の人々を苦しめているかもしれない。
食に関する知識や知恵を持つことが、それらの環境破壊を少しでも抑制し、自分自身の食生活を豊かにすることにつながる。もっともっと勉強しなければ…

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