『「糞土思想」が地球を救う 葉っぱのぐそをはじめよう』
2011年に読んだ『くう・ねる・のぐそ』の作者の著書をまた読んでみた。昨年1月に刊行されたもので、より踏み込んだ内容となっている。「のぐそに使える植物図鑑」としても役立つ(?)内容。
“のぐそ”は、適した場所であれば“したほうがよい”が、ティッシュは土壌中でなかなか分解しないので、使うなら持ち帰らなければならない。それは知ってたけど、そのハードルの高さを解決してくれる(?)のが本書だ。
『「糞土思想」が地球を救う 葉っぱのぐそをはじめよう』
伊沢 正名 著
山と渓谷社 刊
初版発行 2017年1月
「喰うけど喰われない」「死んでも土には還らない」人間というイキモノは、生態系の中で“役に立たない”存在だ。
2006年7月のエントリ「ミッシングリンク!」でも書いたが、「驚異の大量繁殖を遂げた人類だが、都市生活をしている現代人は、実は生態系の、食物連鎖の環の中には存在していない!」のである。
「生態系」とは、“系”であるから、相互にリンクしあったひとつのシステムであり、食うもの、食われるもの、分解するもの、がそれぞれに関わりあっている。
光合成によってエネルギーを作る植物=生産者、
植物の身体を食べて自分の身体を作る昆虫や動物、そしてそれらを捕食して(遺骸や排泄物も含む)自分の身体を作る生物たち=消費者、
動植物の遺骸や排泄物を分解して土に還す生物=分解者(スカベンジャー)が、それぞれ共生している状態が自然の生態系なわけだが、巨大な身体を持ち、大量繁殖しているヒトというイキモノは、せっかくの巨大な遺骸をムダに燃やしたり、せっかくの栄養豊富な排泄物をムダに流し去ったり。ほかのイキモノは食べるくせに、ほかのイキモノに自分のカラダも排泄物も食べさせない。生態系からすると完全に“一方的に収奪するだけ”の存在である。
…というコトを10年以上前から、つらつらと考えていた私は、2011年に『くう・ねる…』を読んで、「のぐそはひとつの“解”やなぁ」と思いつつ、日常的に実践する発想はなかった。(まぁそれまでも時々やってはいたけど。あ、今ももちろん)
だが、この“糞土師”の方は、40年以上にわたって、日常的にそれを実践し続けているのである(途切れたのは、入院中を含む9回だけだそう)。
しかも、本書では、うら若い女性が、“ベランダでバケツのぐそ”という、一気に敷居を低くする実践例まで紹介されている。(←この画期的方法についてはぜひ本書をひもといていただきたい)。
本書を読んだからといって、なかなか「では今日から…」とはならないとは思うのだが(私ですら)、これは読んでおくべき一冊だと思う。
なぜなら、本書は単なる「のぐそのノウハウ」ではない。
阪神大震災のとき、東北大地震のとき、避難所でのトイレ問題はなかなか深刻だったと聞く。断水すると、水洗トイレはたちどころに使えなくなる。下水道が生きていれば、阪神大震災の時に編み出された「マンホールの上に簡易トイレを作る」という方法も可能だが、下水道が機能していなければそれも使えない。多人数の人間が集まって何日も過ごすとなると、排泄物の問題は深刻なのである。南海トラフが動いて、広範囲で被害が出ると、復旧にも時間がかかる。東南海、南海が連動して動いたら…ぞっとするが、ありえないことではない。災害に備えることは大事だが、「携帯トイレを用意する」レベルでは、一日二日しかもたない。
根本的には、のぐそスキルだけではなくて、人口分散がマストだと私は思う。都市部に集中するのをやめて、なるべく人口密度を低くしておけば、深刻さの度合いが下がるはず。今のうちに地方に分散するのがいいと思うけど… と、そういうコトも考えるきっかけとなるので、ぜひご一読を。
「どの葉っぱが使い勝手がいいか」は極にゃみ的には興味深かったが、“実践などとんでもない”と思っている方もぜひ。
★著者の公式サイト…糞土研究会「ノグソフィア」
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