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『典獄と934人のメロス』

隆祥館書店のイベントのときに見かけて、タイトルに惹かれた一冊。
Tengoku934_227年間刑務官を務め、刑務所関係の著書をたくさん執筆しておられる著者。新人の頃、「関東大震災の折、横浜刑務所は囚人解放を行い、帝都一帯を大混乱に陥れた」という話を聞いた。ところが、後に横浜刑務所で所長から「震災のとき囚人たちが救援物資の荷揚げに懸命に当たった」という話を聞く。相反する話が伝わっているのを不思議に思って、何か隠された理由があるのではないかと調べ始めたのが本書を書くきっかけになったのだとか。

『獄と934人のメロス』
坂本 敏夫 著
講談社 刊
2015年12月 初版発行

タイトルの「典獄」とは、かつての刑務所長の名称。
帝都東京を中心に関東一円に大きな被害をもたらした関東大震災。震源地に近い横浜刑務所では、壊滅的な被害を受けて、“塀の中”と外を隔てていた外塀が崩れた。
残っている記録では「横浜刑務所の囚人が解放され、強盗、強姦、殺人など悪の限りをつくし、横浜のみならず、帝都・東京の治安も悪化させた」とされている。
新人のときにその話を聞いた著者は、のちに横浜刑務所で、所長から「震災のとき囚人たちが救援物資の荷揚げに懸命に当たった」という話を聞く。
世の中の通説とまったく相反する話を不思議に思い、「何か隠されたことがあるのでは」と調べ始めたそうだ。そして、約30年をかけて拾い出した事実は…

当時、典獄を務めていたのは東大出身の若きエリート椎名道蔵36歳。「刑罰の目的は社会復帰教育にある」という教育刑主義を信奉していたが、当時は囚人の人権などというものを考える者はおらず、力で抑え込むという考え方が看守たちの常識。当然、現場の叩き上げからは反感を持たれていた。

地震発生直後、外塀は全壊、工場などの建物も全半壊するが、助かった囚人たちは看守たちと協力してほかの人の救助に当たったり、類焼する前に重要なものを持ち出す作業などにあたった。だが、食事の手配などが全くできず、囚人の家族の安否などもわからないため、椎名は24時間に限って囚人たちを解放することができる、という規定を適用することに。
囚人服の色が目立たなくなる夕刻に解き放たれた囚人たちは、思い思いの場所へ散っていくが…

結果的に、大半の囚人が決められた刻限までに刑務所跡地へ戻ってきた。
冤罪で収監されていた福田達也という者は、40㎞の道のりを走って実家へ帰るが、男手のない隣家の補修を手伝ってやってほしいと妹に懇願され、刻限に間に合わなくなるため、妹を身代わりに横浜へ走らせる。ほかにも、やむを得ない事情で、妻を身代わりに送ったケースもあった。

そして、戻った囚人たちは、船で送られてきた支援物資の陸揚げという危険な作業を請け負い、被災者のために働く。「解放された囚人たちが震災のどさくさで悪逆非道な行為を働いた」というのは、「朝鮮人が井戸に毒を撒いた」というのと同じ、単なるデマだったのである。


「あとがき」から引用
 横浜刑務所解放には人知れぬ謎があると知ったのは、昭和46(1971)年12月のことだった。
 東京都府中市にある矯正検収書で上級幹部研修を受けているときに、プライベートで横浜刑務所長・倉見慶記を訪ねたのっだ。(略)
 横浜刑務所に着任して驚いたことが二つあると倉見は言った。
「関東大震災と第二次世界大戦中の記録すべてがなくなっている。戦争中のものは、本省の行刑局長ら高官が戦犯としてGHQに逮捕されるのを免れるため、全刑務所に焼却等の処分を命じた。戦争協力と見なされる証拠を隠滅したのだ。
 戦争の記録がないのは分かるが、関東大震災解放の記録がないのは合点がいかない。古老の話を聞くと、受刑者たちが救援物資の荷揚げに命懸けで当たったというのだが、市民を救った善行の記録がない。それどころか、解放は帝都一帯を大混乱に陥れたとして典獄・椎名通蔵はすっかり悪者にされている。何か隠された理由があるはずだ。(略)
 重松教官は常々こう言っていた。
「行刑の歴史は埋もれているものがあまりにも多い。なかには見事に抹殺されたものもある」


世の中で、「これが事実」と伝わっていることの、いったいどれほどが本当に事実なんだろうか。隠された事実、というのは、本当はたくさんあるのかもしれない。

★著者インタビュー…ココ!

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