『水曜日の凱歌』
敗戦からわずか3日後の1945年8月17日、東久邇宮内閣の国務大臣に就任した近衛文麿が取り組んだのは、「特殊慰安施設協会(RAA)」の設立。外務省・内務省・大蔵省・運輸省・東京都・警視庁が関わり、後に首相となる大蔵省主税局長・池田勇人は3300万円(現在に価値に換算すると10億円以上)を拠出。
RAAとはつまり、“国策による売春組織”のことで、40万人の占領軍上陸までにアメリカ兵向けの性的サービスを提供する慰安所を作って女性を集め、「日本中の女たちが襲われないために、自分たちの身を挺して日本女性の防波堤になれ」というもの。
本書では、英語ができる母がRAA(のマネジメント側)で働くことになった主人公を中心にストーリーが展開していく。
慰安所で働く女性たちの教育係として雇われた女、まかないの女、経理の女、そして、下半身を血に染めながら主人公の部屋の押し入れに隠れていた若い女性は、見つかったあと、列車に身を投げて自殺する。一方、派手な服を身に着けて、米兵たちに媚を売る“パンパン”と呼ばれる女性たちも現れる。本人は、“米兵に襲われないため”に、頭を丸刈りにされ、男の子の服を着せられ、ズロース二枚重ね(←意味ある?)というスタイルにさせられていた。そんな鈴子の目を通して綴られる異様な世界とは…。本書はもちろんフィクションだが、きっとそう大きくは違わない現実があったのだろうなと思わせられる。
この物語は、1946年4月10日(水曜日)、衆議院選挙で39人の女性代議士が誕生したところで終わるが、今から思えば、それは果たして“凱歌”だったのだろうか。
ところで、この国の中枢にあった人々が、なぜそこまで米兵の性暴力を恐れたかと言えば、たぶん日本兵が中国や朝鮮に侵略したときにやったことを思ったからだと思う。
そして、空襲で焼け出され、食うや食わずで困窮した娘たちをだますようにして犠牲にした割に、「RAAの慰安所があった大森海岸付近では強盗・強姦事件が頻繁におきた」し、さらには「RAAの慰安所で性病が蔓延して閉鎖に追い込まれ」、挺身隊として身を捧げたはずの志ある?女性たちは、心身をズタズタに傷つけられた上に、病を得て、ただ放り出されたとか。
※このあたりの事情を詳しく解説しているサイト
★終戦わずか2週間後「東京の慰安婦」は米軍のいけにえにされた
…ココ!
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