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本屋と図書館と書物と。

極にゃみ的には、本が大好きで、図書館も好きで、書店も大事だと思ってる。
書店がなくなったらホントに困るので、熱帯雨林では絶対に本は買わない。どんどん本を買えるわけでもないが、大阪の隆祥館書店のように、戦ってる書店は応援してるし、イベントにもよく足を運ぶ。じつは京都にも面白い書店があって、「本屋は街の光です」という店主の堀部篤史氏が営む「誠光社」にも注目している(以前神戸新聞「随想」を書いておられたときに知った)。
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京都へ行く機会があれば、たまに立ち寄っていたのだが、このたび面白そうなトークイベントがあったので、夜だけどがんばって参加してみた。

“闘う移住本”『彼岸の図書館――ぼくたちの「移住」のかたち』(夕書房)刊行記念トークという企画で、都市住みをやめて東吉野村に移住し、「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」を開いた青木真兵・海青子氏夫妻と、 彼らが私設図書館を作ろうと思い立つきっかけとなった「凱風館」を開いた内田樹先生による鼎談。
身体を壊したことがきっかけとなって田舎へ移住することを決め、縁あって借りた家で蔵書を開架し、「人文知の拠点」としての場を作るということに取り組んできた経緯などをお話された。(※近々、オムラヂにて公開されると思われ)

まだ本は読んでいないのだけど、「書物というのは異界への入口」であり、“著作”というものは、誰か個人の“所有物”であるべきではない、というウチダ説がとても面白かった。
書物を読む意味、価値というのは、単に役立つ知識を得ることではない。
図書館がすごいところは、「まだこんなに読んでいない書物がある。世の中にはこんなに自分の知らないことがある」ということを思い知らされること。…などなど。言葉のチョイスは違うかもしれないが、そんな感じのお話がいろいろ。

じつはちょっとコワい話も出て、人工造成され人口が密集している大規模ニュータウンのようなところには、宗教的な要素がないところがあって、そういうところでは“ときどき怖いことが起きる”というウチダ説。(具体的にどんなハナシだったかは極にゃみ的にはちょっと書けないけど。)
「内田樹の研究室」2011年4月9日のエントリで、「土地を守護する霊的センター」の必要性を理解できたのは小林一三が最後ではないか、と書いておられるけれど、宗教的なナニカ、ってやっぱり必要なのだろうなと、漠然と感じる。それは具体的に神である!とかとか仏である!とかってコトでなくても、ご縁だとか、不思議なめぐりあわせだとか、そんなものも含め、超越的なナニカ… 。

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