『女たちのテロル』
ブレイディみかこさんの本をもう一冊。
100年前、日本で、イングランドで、アイルランドで、過激な闘いに人生を投じた女性たちがいた。
“アナキスト”の金子文子、女性参政権獲得の為に闘った“サフラジェット”のエミリー・デイヴィソン、アイルランド独立を目指したイースター蜂起に参加し、銃をとったスコットランド人の凄腕スナイパー、マーガレット・スキニダー。強大なる権力や権威が、暴力的に民衆を押さえつけていた時代に、それぞれの立場で果敢に抗った“生きざま”をスカッとする筆致で描いた話題作。『僕はイエローでホワイトでちょっとブルー』もそうだが、ポップでロックなタッチがとてもいい感じだった。
『女たちのテロル』
ブレイディみかこ 著
岩波書店 刊
2019年5月 初版発行
100年前の国家権力はいろいろと理不尽で、現代人から見ると「ひどい時代」に見えるのだけど、今、香港で、ウイグルで、チベットで起きていることを見ていると、人類はまったく進化してない気がする。そこまで直接的な暴力ではなくても、この国で技能実習生が受けている待遇は、とても近代法治国家のものではないし、入管の収容者に対する非人道的な扱いもしかり。日本人労働者だってなかなかひどい搾取にさらされている現実がある。
年金が足りないから、老後のために2千万貯めておけと言い放った大臣は政治資金で年に2千万も飲み食いをし(元は我々が払った税金です)、天井知らずの選挙費用をつぎ込まれた議員は法律違反が明らかになっても議員を辞めず、睡眠障害を理由に「説明」から逃げた大臣はしれっとメディアに出てきている。逮捕状が出されたにも関わらず執行直前に「謎の経緯」で逮捕を免れた昏睡レイプ魔はまだ捕まっていない。「モリ・カケ・スパ・桜」、内閣が何度倒れてもおかしくない真っ黒い疑惑は解明されないままだ。権力の私物化はとどまるところを知らず、あべ一味だと何をしても逮捕されないような国に成り下がった。一般論として、こういう状態を「独裁」というのではないのか。
100年前に、命を賭して戦った彼女たちのような(もちろん女性に限らない)勇気と知性ある人たちがいたからこそ、民衆が手にすることができた基本的人権を、ないがしろにする政権を許してはいけない。暴力はいかなるものでも認めてはいけないが、サフラジェットのような戦闘的な気概をもって権力と対峙する必要があるのではないかと、今の世の中を見ていて思う。
文明は進歩しても、一人一人の人間の能力が高まってるわけではない。瞬時にいろいろな情報に触れることができる私たちが、100年前の彼女たちより優れた知恵を有しているかといえばそんなことはないし、むしろマスメディアが垂れ流す無駄に多すぎる情報にさらされて、逆に馬鹿になってるのではないかと思う。面白おかしい娯楽に目を奪われているすきに、思考することを忘れ、何が必要な情報で、何が正しいことかを見極める力を失っているとしか思えない。
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