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「明智光秀vs波多野秀治」(大河ドラマ『麒麟がくる』の舞台・八上城)

“丹波富士”こと、標高459mの秀峰「高城山」。
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丹波篠山の市街地東側にあるきれいな円錐形をした山で、今年のNHKの大河ドラマ『麒麟がくる』の舞台のひとつになるところ。

これまでも、戦国モノでは度々取り上げられてきた有名な古戦場。
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大河ドラマの舞台となるということで、地元ではずいぶん力が入っていて、登山道整備が進められたもよう。歩きやすくて、かつ眺望伐採も進んでいる。
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ち、ちと… 切りすぎなのではっ…!?
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夏、暑すぎないかっ!? 行くなら春がいいような… 低山だし。
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眺望は抜群で、多紀アルプスも一望できる。

天正6(1578)年、織田信長の命により「丹波平定」を進めていた明智光秀が八上城城主の波多野秀治とここで激戦を繰り広げた。翌年、籠城を続けていた秀治に「命の保証はするから降伏せよ」と呼びかけ、母を人質に差し出す。ところが、秀治とその弟を信長が処刑してしまい、激怒した家臣らが光秀の母をはりつけにして惨殺。このことを恨んだ光秀が、母の命日に本能寺の変で信長を殺した… というのが物語としてよく描かれてきたストーリー。現在、これらは「史実ではない」という説が有力だそうだが、ドラマチックなエピソードでもあり、地元では「はりつけシーンをぜひ」とNHKに要望しているらしい。極にゃみ的にはテレビを見ないヒトなので、たぶん見ないけど、石川さゆりさんのはりつけシーン、見たい人は多そう…(1996年の『秀吉』では野際陽子さんがお牧役。凄惨な磔シーンで視聴者の涙を絞ったそうだ)
 ※光秀自身もそうだが、その母については生年もよくわかっていない。いくつかの資料から、丹波の戦は光秀が52歳くらいの頃のことと推定されており、であるとすると、母は70近い老女?現代人ならまだしも、当時の平均年齢からするとかなりの高齢者。婆様の磔って、あまり絵にはならなさそうではある(地元が作成したポスターは、アラフォーな感じの美女が磔にされている)。

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