« 北摂中山 | トップページ | 『ナッツをうまく食べれば… 』 »

『歴史と神戸』Vol.60

森地一夫さんから神戸史学会の機関誌をご恵贈いただいた。
Dsc00450昨年版の『歴史と神戸』Vol.59をマエダ校長にいただいて、コチラのエントリにあげてたのをご覧いただいていたようで、「六甲山の記事を書いたので」とお送りくださった。ありがとうございます。

特集テーマは『近代都市・神戸の楽しみと陰』。
巻頭が森地氏の『ハイキングの普及と六甲山』、続いて、明治時代に日本で初めてコレラが大流行した時に奮闘した医師について山本ゆかり氏が書いた『兵庫県の検疫医・桑原高美の経歴と殉職』、3題目は吉田隼人氏『「みなとの祭」に関する一考察』、巻末に、2017年に逝去された考古学者、今里幾次氏の最終論文集をまとめた経緯の報告書という4部構成。

六甲山は、よく知られているように「近代登山発祥の地」と言われているが、古来日本にはレジャーやスポーツとしての「登山」という概念はなかった。山岳修行や、山仕事など、目的があって行くことはあっても、一般人が楽しみを求めて気軽に山に登るような文化はなかった。
明治に入って、外国人たちが住むようになると、彼らは西洋流の「登山」を日本でも行うようになり、それがきっかけて「近代登山」が始まったという経緯から、早くから外国人が住み、山が近かった神戸の背山がその最初の対象になったのである。

その後、「ハイキング」が大ブームとなっていくが、「ハイキングとはなにか」「どうやって普及していったのか」などについて、多くの文献から考察したのが本稿の内容。
現在も、鉄道会社が主催するハイキングが隆盛だが、全国に広まったのは、昭和9年秋「鉄道省が国有鉄道の立場から国民の保健を目標として全国的にハイキング運動を起こした」ことから。
その後、新聞社がハイキングの普及に乗り出し、推薦コースを紹介するようになる。阪急電鉄、阪神電鉄など関西の私鉄も普及活動に取り組むようになった。
現在の阪急ハイキングの前身?「阪急ワンダーホーゲルの会」が創設され(昭和9年8月なので、鉄道省より早い!)、入会金50銭を払うと、行事参加者は割引乗車券が購入できる仕組みだったそう。人気を博して、一年後には会員が1万3000人を超えた。毎月会報が発行され、梅田からの運賃が50銭になる「50銭ハイキング」という企画もあったらしい。4年目には会員数3万人を突破、例会には毎回300~400名が参加したという。
この会を指導したのが、「やまゆき会」創設者の木藤精一郎と、大正期に六甲山の詳細な登山地図を作製した直木重一郎も関わっていたそうだ。

コロナ禍以降、ハイキングや登山をするヒトがぐっと増えた印象があるが、交通の便がよくて、誰もが気軽に登れる六甲山は、早くから関西人のハイキングの場として親しまれていたのだ。

|

« 北摂中山 | トップページ | 『ナッツをうまく食べれば… 』 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 北摂中山 | トップページ | 『ナッツをうまく食べれば… 』 »