『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』
他人事にしても、なかなか悲惨な状況だと思うのだが、文章のタッチがひたすら明るい。
もしかすると振れ幅が大きいのかもしれないけれど…。
ダウン症で知的障害のある弟は、コミュニケーション能力が欠けていると思っていたら、じつはあちこちで、いろんな人々とフレンドリーな関係性を築いていた。
半身不随になって絶望していた母は、いつしか強靭な両腕の持ち主になって車イスを自在に操り、腕だけで運転する器具を使いこなしてクルマでどこへでも行けるようになっていった。
なんてすごい家族なんだ…
(一部抜粋)
だって良太には、できないことがたくさんある。
それを補ってくれているのは、地域の人たち。
バスの運転手さん、コンビニ店員さん、犬の散歩をしているお爺さん。
暖かく見守って、つまずいたら手を差し伸べてくれている。
困っている人がいたら、自然に手を差し伸べる人々が暮らす街って、たぶん誰にとっても住みやすい。
誰もがたどる生老病死の人生のステージでは、自分一人では生きていけないパートが必ずある。
健常者であっても、赤ん坊のときには誰かのお世話が必要だし、年を取ればどんなに元気な人でも、いろいろ衰えてくる。
人類が「社会」を作って群れで生きているのは、そういうことなんだと思う。持てるもの・持たざるもの、それぞれに役割があって、誰かの支えがないと生きていけないひとだって、何かの役割がある。そんなことを改めて考えさせてくれた良書。
読んでてものすごく元気が出る一冊であった。
「note」で読めます。
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