28年。
震災直後に生まれた人がもう28歳。
33歳だったにゃみにゃみ。61歳。
9歳だったうちの“たま”は、37歳。
激震の朝。当時は母子家庭の二人暮らし、ボロい賃貸に住んでたのだけど、軽量チープな建物だったのが逆に幸いし、倒壊することもなく、生き延びた。
連休明けで山帰りだったので、枕元に幕営装備一式が入った大型ザックがあったのも幸い。
まだ夜明け前で、停電して真っ暗な中、ザックの雨蓋にはヘッデンと携帯ラジオが入っていて、これらは目をつぶっていても取り出せる。
ラジオをつけたら、NHK大阪支局のアナウンサーが、「先ほど地震があり、大阪市内で通行人が転倒してけがをしているもよう」とかなんとか、のどかなことをのたまって、「こらアカン。なんもわかってへん。きっとココが震源や!」と思った。(神戸はそれどころじゃなかったんだけど…)
すぐに、まだわずかに水圧が残ってる水道から、山装備のポリタンクに水を満タンにした。
明るくなってから外に出たら、道がデコボコ。舗装はぐちゃぐちゃ、その上に落ちてきて割れた瓦でまっすぐ歩けない状態。
家の中は、すべての棚のもの(主に本棚だが)がなだれ落ちてて、床が見えない状態。電子レンジはブッ飛んでて、冷蔵庫は部屋の真ん中まで歩いてた。
地震発生時はまだふとんの中にいたんだけど、倒れてきた背の高い本棚は机に当たって、寝ていた私たちの上に降ってきたのは中身の本だけ。
うちのたま、あとで
「いろんなものが落ちてきて怖かってんけど、その上、マリまで落ちてきてん…」と祖母に語ったらしい。
ワタシ、落ちてきたんかいっ。
…ま、そんなコトを言ってられたのも、生きていたおかげ。亡くなった方々、生き延びた人々。その意味は何年経っても問い続けないといけないと思う。
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コメント
私も被災しました、自宅は全壊。
20代前半でしたよ~
明るくなって自宅を見て、自宅の中に入って見るとあともう少し揺れていたら、揺れがもう少しキツかったら、私は死んでいたかもの状態でした。
昨日、仕事が休みだったので、母と初めて東遊園地に行ってきました。
28年たちますが、涙がでました。
毎年1月17日は辛い。
投稿: F嬢 | 2023年1月18日 (水) 22:34
F嬢の家も全壊やったんか…
死んでいてもおかしくない状況やったんやね。
私は家族も親戚も誰も亡くしてないけど、それでも震災の時のことを思い出すと未だにフラッシュバックが起きる。
あのときのことを経験した人はみんなそうかもね。
生き延びた人と、亡くなった人と、
その境界線ははっきりしてなくて、
どちらがどちらでもおかしくない状況だったから。
投稿: にゃみ。 | 2023年1月19日 (木) 07:06