映画『福田村事件』
もっと悪質なのが東京都知事の小池氏。歴代知事が必ず送っていた、朝鮮人犠牲者追悼式典への追悼文を就任以来一度も送っていない。
実際に起きてしまった過ちを中枢にいる政治家たちが認めない。そういう国に生きている私たちは、まず事実を風化させずに伝えていくことが何より大事だと思う。
★映画『福田村事件』公式サイト…ココ
関東大震災が発生した9月1日。直後の混乱の中で、いろいろな流言飛語が飛び交った。内務省の通達によって自警団が結成され、武器を取った人々が「朝鮮人が襲ってくる」「井戸に毒を入れている」といったデマを信じ、怪しいと思った人々を殺害。朝鮮人のみならず、中国人も、日本人でも地方出身者で方言を話す人々や、障がい者らが巻き添えに遭い、約6000人が虐殺されたと伝わっている。
本作の福田村事件は、千葉県の福田村(当時)に香川から行商に来ていた薬売りの一行15名のうち、幼児と妊婦を含む9人(臨月だったため、胎児を含め10人とも)が惨殺されたというもの。
善良な一般市民が、集団でパニックを起こすと本当に恐ろしいことになるということを、作品を通じて伝えているのがこの映画。
ハンナ・アーレントが言う「凡庸なる悪」の恐ろしさがひしひしと伝わる作品だった。
事実を元にしてドラマに仕立てているわけだから、細部の演出はともかくとして、悲惨な結末は最初からわかっているわけで、なかなか見ているのも辛いのだが、作品としてとてもよかったと思う。
森達也監督は、ドキュメンタリーのヒトかと思いきや、なかなかどうして。キャストもよくて、中でもとくに、水道橋博士がエエお仕事をしてはった。「小市民のくせに、権力をかさにきてえらそうにする」とてもイヤな役回り。
この作品が作られる前に、辻野弥生さんというライターが『福田村事件 関東大震災 知られざる悲劇』(五月書房新社)という本を出しておられる。歴史の闇に埋もれていた事件を丹念に掘り起こし、残していくという大事なお仕事。
『福田村事件 関東大震災 知られざる悲劇』…ココ
★森達也さんに聞いた―映画『福田村事件』…ココ
「負の歴史に向き合わなければ、また同じ過ちを繰り返す」
ホントにそう思う。どれだけ愚かで悲惨なことでも、なかったことにしたらきっとまた繰り返す。何かときな臭い今だからこそ、何度でも蒸し返さなければ。
「集団の動きには閾値があります。そこを超えたら止めることは困難です。リベラルなインテリにも、普段は周囲に迎合しないアウトサイダーでも。僕にもあなたにも止められず、逆に加担したかも知れない。それが集団の力学です」
集団心理の恐ろしさを、巧みに演出していた。愚かな小市民が迎合する、というだけではなく。
最初は冷静に止めようとしていた村長が、止めきれなくなって惨劇が起きたあと、取材に来た新聞記者に「書かないでくれ。私はこれからもここで生きて行かないといけないんだ」と力なくつぶやくシーンがとりわけ印象的だった。
もうひとつ、プロレタリア演劇の祖・平澤計七が、地震のあと流言飛語を吹聴して歩いている人を捕まえ誰何する。そして「どこかで会ったよな?」と言うと、相手はそそくさと逃げ出すのだが、それが亀戸署の刑事ではないかと。何か重要な伏線かなぁと思って観てたんだけど、そういう可能性の示唆をそっと置いといた感じ?
大杉栄・伊藤野枝が混乱のどさくさに紛れて憲兵隊に惨殺されたのと同じく、平澤ら社会主義者10名が「保護する」と連行された亀戸署で惨殺される。
「朝鮮人虐殺」とその周辺の一連の事件は、民間人が無政府状態になって勝手に暴走したわけではない。
同じ時、神奈川県で起きていたこちらの事件も必読→『典獄と934人のメロス』
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