「さよーならまたいつか!」
昨日“虎に翼”について書いたけど、じつは最初に注目したのは主題歌。
米津玄師さん、元々わりと好きで、メロディももちろん良いのだけど、どの曲も歌詞がすごい。今回の朝ドラの主題歌も、最初に聞いた瞬間から「ええな」って感じた。
片耳で聞いてるだけだけど、歌詞に印象的な言葉がたくさんあって、ドラマの中身はあらすじ程度にしか把握してないものの、主題歌が伝えてくれる感…
ドラマの主題歌って、主人公の気持ちを歌うものとか、主人公に対する応援歌が多いんじゃないかと思う。
それに対して、この歌は、“主人公”そのものではなく、時代を超えて、ずっと存在している、“主人公のような存在すべて”に対するエールなんだろうなと感じてた。それが、最終回で、確信になった。
作詞をするにあたって、ものすごく丁寧に脚本を読み込んだんだろうなと思う。
歌詞の中に、何度も「100年先」というフレーズが出て来る。
「さよなら100年先でまた会いましょう 心配しないで」
「100年先も憶えてるかな 知らねえけれど さよーならまたいつか!」
「100年先のあなたに会いたい 消え失せるなよ さよーならまたいつか!」
そして、最後のシメが
「生まれた日からわたしでいたんだ 知らなかっただろ さよーならまたいつか!」
しみじみ、よくできた歌詞だと思う。
翼さえあればと切望する前を、気のない顔でツバメが飛んでも、
いつの間にか花が落ちても、誰かが私に嘘をついても、
「大丈夫、100年先には世の中は変わっているかもしれない」。
励ますでもでもなく、共感するでもなく、なぐさめるでもなく、ただ「ずっと、ちゃんと、見てるから」というメッセージ。
1滴では石を穿つことはできないたくさんの雨だれたちが、累々と、細々と、切々と、時代を超えて滴り続ける。それを時空を超えて見つめ続ける視点。
当事者として寄り添うことができない立場を自覚していて、無責任な慰めなどではなくて、真に誠実に向き合うなら、そうするしかないのだろうなと感じる。
ちなみに、「虎に翼」は古代中国の古典『韓非子』の中の言葉で、日本語で言えば「鬼に金棒」。
朝ドラのオープニングでは使われていない2番(最終回の最後にフルバージョンが流れた)の冒頭「しぐるるやしぐるる町へ歩み入る」は、行乞放浪の旅に生きた種田山頭火の俳句「しぐるるやしぐるる山へ歩み入る」の本歌取りか。
★米津玄師「さよーならまたいつか!」ココ
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