101年目。なかったことにはできない
去年9月に観た映画『福田村事件』で描かれていたのは、激震に襲われ、混乱した首都圏周辺で、流言飛語によって多くの人が虐殺されたこと。
「朝鮮人が放火した」「井戸に毒を投げ込んだ」といったデマが飛び交い、自警団が結成され、朝鮮人を見つけると集団で虐殺。
震災で多くの人が亡くなったどさくさに紛れて、何人が被害に遭ったのかわからない。
内閣府中央防災会議の報告書によれば、「殺傷事件による犠牲者の正確な数は掴めないが、震災による死者数の1~数パーセント」。
朝鮮人と日本人って、外見ではわからない。
で、「ちゃんとした日本語がしゃべれるか」どうかで判断したため、方言がきつい地方出身者や、吃音があったり聴覚障害・発声障害がある人たちが朝鮮人と決めつけられて殺された。上記の『福田村事件』がまさにその事例で、讃岐から行商に来ていた薬売りは、讃岐弁だったため「ちゃんとした日本語がしゃべれないのは朝鮮人だ」とされて、幼児や妊婦も含む9名が虐殺された。
東京都の小池知事は、今年も追悼文を送らなかった(8年連続)。東京新聞のアンケートには、「虐殺があったことは把握していない」と回答。
過去に起きたことを、なかったことにはできない。
絶対に認めたくないほどひどいことをしたのだから、認めないのではなくて、真摯に向き合い反省することしかできないし、今後同じ過ちを繰り返さないためにも、伝え続けていかないといけない。
人は過ちを犯す。差別もするし、集団心理に飲み込まれると、女性だって虐殺に手を貸さないとも限らない。
(映画の中では、集団虐殺の引き金となったのは、夫が殺されたと思い込まされた女性の一撃だった)
自分だってその時代にその場にいれば、虐殺に加担していたかもしれない。そうならないためには、知ることが第一歩。
★安田浩一 著『地震と虐殺 1923-2024』
★昔新聞(朝日新聞)「流言飛語による惨劇 朝鮮人虐殺」ココ
★内閣府防災情報「流言蜚語と都市」ココ(PDF)
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