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「穂高よさらば」

穂高から下山するとき、いつも頭の中にリフレインする歌がある。
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今回も切ない気持ちで口ずさみながら下ってきたのだけれど…

けど、よく考えるとわりとビミョーな歌ではある。
もうすぐ終戦記念日を迎えるこのタイミングで、きちんと振り返っておきたい。

くだんの歌詞。

穂高よさらば又来る日まで
奥穂に映ゆるあかね雲
返り見すれば遠ざかる
まぶたに残るジャンダルム

17歳の時に雪山(八ヶ岳)で遭難、凍傷で両足先を失い(同行の友人は凍死)、それでも先鋭的なクライミングを続け、"五文足(※)のアルピニスト"として名をはせた芳野満彦が作詞。マッターホルン北壁に日本人として初めて登頂し、新田次郎の小説「栄光の岩壁」のモデルとなった人。極にゃみ的には、アルパインを始めたばかりの頃に新田次郎は一通り読んでいる。 ※十文が24㎝

この歌は、古くから山ヤの間で歌い継がれてきた山の歌のひとつで、極にゃみ的にはわりと好きなやつ。

★Uta-Net「穂高よさらば」(芹洋子)

歌詞は、2番、3番と続くが、まぁ地名を変えただけ。
じつは、芳野満彦が作詞したのは1番だけで、あとはいろんな山ヤがテキトーに作った替え歌らしく、いろんなバージョンが存在する。

ところで、この歌、“そもそも替え歌”なのである。
メロディからなんとなくわかるけど、オリジナルは軍歌。

ご存じの通り、太平洋戦争末期、敗色が色濃くなって、もはやなすすべがなくなってきた大本営が思いついたどうしようもない作戦が「神風特別攻撃隊」。明るい将来があるべき若者たちを、使い捨てのコマにするという悪魔的発想のトンデモ作戦。

誰もが持つ生存本能を麻痺させ、死へと駆り立てるためにいろいろなことが行われた。
「命を賭してお国を護る」ことを美談に仕立てて、ドラマチックに称賛するのが一番効果的だったみたい。

朝ドラ「あんぱん」でも、ヒロインがアッパレな“愛国の鑑”となったように、作曲家も作詞家も歌手も画家も、愛国心を作品にした時代があったのだ。
元歌は、1944年に作られた『雷撃隊出動の歌』。

母艦よさらば撃滅の
翼に映える茜雲
返り見すれば遠ざかる
瞼に残る菊の花

炸弾の雨突き抜けて
雷撃針路ひた進む
眦高し必殺の
翼にかかる潮飛沫

天皇陛下万歳と
最後の息に振る翼
おおその翼紅の
火玉と燃えて体当り

雲染む屍次々て
撃ちてし止まん幾潮路
決死の翼征くところ
雄叫び高し雷撃隊

…ひどいよね。この歌詞。

あんぱんのヒロインが戦後、子どもたちに軍国教育をしたことを深く後悔するけれど、戦意高揚に協力したアーティストたちもきっと…… (「ブギウギ」の茨田りつ子はカッコよかったよね。〇HK、報道は腰抜けだけど、ドラマの制作部はかなりがんばってる。)

この鬼畜な作戦で、お国は若者を6000人も殺した。
★NHK 戦争を伝えるミュージアム「特攻とは?

でも、芳野満彦さんをはじめ、こんなえぐい歌詞を、山への憧れに替えていった山ヤたちは、戦争を憎み、山への愛で塗り替えて、平和を謳歌する心だったのだろうと思う。

穂高を愛して二十年』の中で、

 あのいまわしい大戦が、何時の間にか『聖戦』の名にすり替えられて、戦争に勝つ為にはどんな手段をも選ばず、一億総戦力のひと駒にすぎなかった多くの人々は、ほとんど自己を喪失して個人的な理想とか抱負、まして自由など求める術はなかった。
 その頃、私は『聖戦』に懐疑的で、戦争にともなう一切の恐怖におびえながら、憑かれたように穂高へ登った。山を愛することは熾烈な戦争の中で、私に許されたたった一つの自由だった。 

と書いている。大儀なき戦に巻き込まれて、殺し殺されるくらいなら山で死んだ方がまし… と、憑かれたように命がけのクライミングに打ち込んだ。

気軽に山を楽しんでいられる今だけど、戦争ができる国にしたくてたまらない勢力が力を増してきている。
「核武装が安上がり」なんてトンデモなコトを言う候補が国会議員になってしまうだなんて、ホントにヤバい。

終戦記念日を迎えるこの時期に、戦争と平和についてしっかり考えたい。

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