« “雑草”は排除すべきなのか | トップページ | 反戦を考える機運 »

戦争は終わらない―『蟻の兵隊』

戦争を体験した世代が次々と鬼籍に入り、ヨノナカは「戦争を知らない子供たち」ばかりになりつつある。
戦争は、もちろん殺された人も浮かばれないが、殺すことを強要された兵士の心にも深い傷を残す。
「自分は人を殺してしまった」という思いを持ったまま生涯苦しみ続けた人は少なくないだろう。
「生きて戦地から戻ってきたが、まったく別人のようになっていた」という話はよく聞く。
が、「戦地に残されたまま9年の歳月を生き延び、なんとか生きて戻ってきたら、“まったく違う”立場にされていた」ひとりの元日本軍兵士がいる。
P8210349
神戸の元町映画館で池谷薫監督による『蟻の兵隊』が上映された。

開演30分前に行ったら、番号札は65番。ココは66席しかないミニシアター。ギリだった。通路に補助いすをずらりと並べ、その席も埋まって開演10分前に戻ったら札止めになっていた。ヤバかった。
P8210350
この作品は、ほとんど一般には知られていない「日本軍山西省残留問題」の当事者、奥村和一(わいち)さんを追ったドキュメンタリー。
終戦後も、ずっと戦い続けてきた人である。

1945(昭和20)年8月14日、日本政府はポツダム宣言を無条件受諾し降伏、戦争は終結したはずだった。
しかし、奥村さんが所属していた部隊の2600人は、そのまま現地に残され、内戦の戦闘員として組み込まれ4年間も戦闘を続けた。その間に500名以上が戦死、戦闘終了後は捕虜として5年間も抑留されて強制労働に就かされた。

終戦から9年も経ってようやく生きて帰国することができたが、日本軍の兵士として戦ってきたはずの彼らは、書類上「自ら軍隊を離れ(脱走兵?)傭兵として中国国民党軍に加わった」ことにされていた。

仲間たちと国を相手取って裁判を起こしたが、国側はガン無視。
ポツダム宣言を受諾したあとに、「日本軍の兵士が戦闘を行っていた」という事実は、非常に都合が悪いから。
原告団はあらゆる資料を探し出し、明白な証拠となる文書も提出したが、ガン無視。一審敗訴。上告は棄却。
そうこうするうちに、原告団は次々と鬼籍へ。

★中国山西省日本軍残留問題…ココ(ウィキペディア)

本作品で印象的なのは、主人公が自らを「加害の当事者」として戦争というものと向き合う姿。
戦地で人を殺したことには一切触れず、口をつぐむ人が多いなか、彼は“加害の地”を訪ねて線香を手向け、当時の日本軍の蛮行を目撃した人を探し出して話を聞こうとする。当時から60年も経った、80過ぎの老体に鞭打つように、辛い思い出の地へ赴く。

ホテルで朝、身支度をしているシーンが映し出される。
白い下着の上にコルセットを巻く奥村さん。
「腰が曲がってちゃいかんから」というような意味のことをつぶやいているが、そこに込められている思いは
「殺された人たちの子孫に会ったら殴られるかもしれない。しゃんとしてないと」
ヨボヨボのトシヨリを殴る気にはなれないだろう、という思いなのか。

軍隊では、上官の命令は絶対であり、自分の意思は関係ない。でも、自分が人を殺したことは事実として消えない。
そのことに、彼は60年経っても向き合い続けてきたのである。壮絶な人生。


第二次世界大戦の日本人戦没者は、軍人・民間人を合わせ約310万人。
一方、日本軍による民衆殺戮の犠牲者は、中国、朝鮮、インドネシア、フィリピン、マレー・シンガポール、ビルマ、太平洋諸国の人々など合わせて5,424,000人。
戦争とは言え、五千万人もの人々を虐殺した忌まわしい過去を持つ“平和国家”が、この国。

国会で戦争責任について問われ「私自身は当事者とは言えない世代ですから、反省なんかしておりません」と答弁した人が30年経っていま国のトップに。15日の戦没者追悼式では、責任をあいまいにするような表現をし、歴代首相が述べてきた「反省」という言葉を使わなかった。
忌まわしい過去を反省できない人が率いるこの国は、ご法度としてきた武器の輸出を解禁し、軍事力をさらに増強しようと莫大な予算をつぎ込み、世界に誇る平和憲法を破壊しようとしている。不穏でしかない。

「戦争は永遠に放棄する」というお約束は、必ず守り抜きましょう。

|

« “雑草”は排除すべきなのか | トップページ | 反戦を考える機運 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« “雑草”は排除すべきなのか | トップページ | 反戦を考える機運 »